本当の自分なんていない。その瞬間瞬間が自分。
「本当の自分」や「自分らしさ」というのは確立された唯一のものだと思いがちですが、そこから外れたり反するようなことがあると疑念が生じ悩みがちです。
自分らしくない、もっと自分らしく生きたい、あれ?本当の自分って一体。。。?
かく言う私も学生時代に「本当の自分」に対して疑念が生じ瞑想した時期がありますが、紆余曲折を経て行き着いた答えがこの記事のタイトルになります。
自分を集合として捉える。
あの時も自分、今この瞬間も自分、全て自分の一部。
この記事は自分らしく生きたい、本当の自分を見つけたいということを否定するわけではありません。本当の自分、自分らしさに対して悶々とした日々を送っている人に向けて、「こんな考え方もあるよ」と提案するものです。
既に結論は書いてしまったので、以降は蛇足です。私が結論に至るまでの過程がつらつらと書かれているだけなので、もしお時間があればお読みいただけると嬉しいです。
個を失った学生時代
私は高専に通っていましたが、高専というものは狭いコミュニティです。入学から卒業までは基本的に同じ学科なので、クラス替えなどもなくメンバーが変わることはありません。
なので10代後半の思春期真っ盛りでも、5年間もあれば自ずと「個」を確立できました。
そこでの私は周りと比べて運動がそこそこできる、体育の授業で活躍する人間であり、勉強ができるとか明るいといった印象を周りが持っているようなことはなかったと思います。
また、心理学の本を何冊も集めては読み漁り、自己分析をしては如何に人間関係を優位に進められるかということに主眼を置いて青春を謳歌(?)しました。
そんな具合に、自己分析のおかげもあってか「自分=こんな感じ」という自己認知のようなものがありました。
しかし大学に編入してからは一変。新しい学科、ゼミ、サークル、バイトと一気にコミュニティが広がりました。
学科では成績上位をキープするために勉強に励む自分、ゼミでは後輩の面倒見が良い自分、サークルでは2つ学年の違う年下の同期に交じって落ち着いた大人感を出す自分、バイトでは朝7時からの勤務にも寝坊せず時間を守る自分。仲の良い友人のコミュニティではジョークグッズなどで笑わせる自分。。。
まずコミュニティの違いだけでこれだけの自分が発生しました。
コミュニティが広がるということは、人付き合いが増えるということです。
ある人の前では落ち着いた自分を見せたい、ある人の前ではお茶目な自分を見せたい、ある人の前では厳格な自分を見せたい、と思って人と接するうちに「役を演じ分けている」という感覚が強くなっていきました。
一体どの役が本当の自分なのか、誰と接していれば一番自然体(自分らしい)なのか。徐々にわからなくなり、ついには自分がわからない状態になりました。
自分がわからない私は、深夜に道端のベンチに座って月が移り行く様を小一時間眺めたり、唐突に車で昔訪れたことのある遠方の町にドライブしたり、部屋を暗くしてキャンドルの火の揺らぎを眺めたりしながら自分というものをひたすら考えました。
今思い返すと、効果的とは思えない行動ばかりですね。特に月を眺めていたら自分を悟る、なんてことは到底無理そうです。(笑)
唐突に何かを悟るようなことはありませんでしたが、時間というのは万能です。時間が経過するうちに何となくですが考えがまとまってきました。
そして就職活動でそれは確固たるものになります。
1つの瞬間は1つの自分
就職活動ではほとんどの企業で面接があると思います。学生は入りたい企業に採用してもらうために企業を調べ、自分の経験や能力をフル活用して採用してもらえるような人物像を作っていきます。当然、人物像は大なり小なり企業ごとに異なるでしょう。そして面接。作り上げた人物像を精一杯演じてアピールします。私もいくつかの役を演じました。
面接当時は演じているという感覚でしたが、就活活動を終えて面接の場面を振り返った時、果たして本当に演じていたのだろうかという思いが湧いてきました。
確かに企業に採用してもらえるように人物像を設定しましたが、その元となったのは自分の経験や能力です。そこから作り上げた人物像は果たして自分とは非なるものなのでしょうか。
いや、そうではありません。面接の瞬間、そこで見聞き自分の意見を述べていたのは他人ではなく私であり、人物像=自分だったはずです。
長い時間軸で自分というものを考えてしまうといくつもの自分が存在してしまいますが、ある一瞬、瞬間であれば自分は複数存在しません。1つの瞬間には1つの自分です。
行き着いた先が
「本当の自分なんていない。今この瞬間の自分が自分。」
その瞬間瞬間の自分を認めてあげると、あれも自分、これも自分といった風に自分を集合として扱えるようになりました。
とても抽象的な話になってしまったので、イメージし易くなるように以降はちょっと表現方法を変えてみます。
常に何かの役を演じている(モード)
その瞬間瞬間、私たちには常に役割があり、演じていると感じることがあると思います。演じていると言うと悪いイメージを持たれる方もいると思うので、ポジティブな言い回しで「モード」と表現してみましょう。
会社での上司モード、部下モード
家庭での父親モード、母親モード、子どもモード
大学時代の友人モード、共通の趣味の友人モード、地元の友人モード
SNSの中での自分モード
思い切って更に拡大して言えば、自分らしさというのも1つのモードであると言えます。
自分らしいモードに切り替え
1つの自分に囚われず、数あるうちの自分の1つと解釈しても良いかもしれませんね。