ちゃまの昔話④父の偉大さ【2024.8.18】
韓国に行って半年の父は日常会話程度の韓国語であれば話せるようになっていた。買い物や飲食店の注文などを難なくこなす父を見てカッコいいなと思っていた。その時の僕は漠然とすごいなぁという程度だったが、今考えると相当な苦労があったのだと思う。
父は決して勉強が得意なわけではない。私立高校の特進科であった父は、やんちゃな友達と遊ぶようになり、進学する人が少ない普通科へ変更した。その後、美術の専門学校へ行くも、貧しかった父は親からの援助を受けることができずバイトと学業の両立に挫折し、専門学校を辞めて田舎へ戻り酒屋でアルバイト生活をしていた。そんな中、友人の紹介で母と出会い、職を探して大阪に本社を構える製造業の採用募集に応募して唯一の合格者となった。初めは三交替をしていた父であったが、韓国工場の立ち上げに抜擢され、嫌々ながら母と僕のために渡航を受け入れたのである。
そんな父が半年で韓国語を話しているのを考えると、初めての異国での生活に適応するために苦労や努力していたことは想像に容易い。異国で家族のために強く生きていた父を思うと感謝と尊敬の言葉に尽きる。大人になってお金を稼ぐことの大変さを痛感している。
当時韓国で久々の再会で、日本では話すたびに喧嘩していた父と母は停戦の様相を示していた。子供ながらにホッと胸を撫で下ろしたのである。そんな家族の団欒に無情にも別れの時が訪れる…続く