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日記と7月のまとめ。

▷spoon朗読


「優に救われてるの、ほんとうに。」
「朝起きて、今日も無事生きてるなと思う。」
「普通がいちばん。そう思うようになったわ。」
太陽に手を伸ばす木々を横目に、助手席で祖母がぽつりぽつりと言う。
 災害級の暑さをキャスターたちが警告する日々。うだるような暑さ。茹で上がるという意味もそうだが、音が、この日本の夏の暑さを表すのにぴったりの言葉だといつも思う。この1週間、雑草たちが灼熱の日差しに項垂れていた。彼らの水分が蒸発しているのだろうか、あたりには蒸した葉のにおいが充満して。それでもどういう原理なのか、枯れることはなくいつの間にか背を伸ばしていた。鳩や雀にもよく出会った。暑さを凌ぐために建物の影に集まっていたのだ。蝉も梅雨が明けたと勘違いして大騒ぎをしている、と思っていたら梅雨明けが発表された。生き物はよく知っている。
 私もやっとの思いで1週間を乗り切った。キャスターの代わりに、質素に一人暮らしをする祖母に「暑いと感じなくても冷房をつけるんだよ。」と連絡をしながら。とは言え、年寄りは簡単に聞かないので、今日は顔を見せて釘を刺しにきたのだ。そして「山奥にあるドイツパンのお店までドライブをしよう。」と彼女を連れ出し、片道1時間半の木漏れ日柄に染まるちいさな旅をしている。
「救われているの。」
重苦しく見えるその言葉は、祖母が紡ぐと絹のようだった。白い日差しを透かすような、握りしめる手をすり抜けていくような。車には私と祖母しかいない。私たちふたりしかいない。私たちは顔を合わせてから、今日の、昨日の、その前の、何でもないことを言葉にして共有していた。だからきっと私に投げかけたものだろう。けれど祖母のその言葉は、私が息をしているこの場、青々とした木々、その根をぐっと抱きしめるふくよかな山、そういうものに話しかけているように思えた。美しかった。10年ちょっと前に、私は祖母のウェディングドレス姿を見た。祖父と祖母が結婚式を挙げなかったことを知っていた私の母と義理の叔母(祖父母にとってのお嫁さんで、とってもパワフルで可愛らしいひと)がどっきりとしてちいさな挙式を用意した。タキシード姿の祖父とウェディングドレス姿の祖母が、私を含めた孫たちの前で誓いをした。ただそれだけの式。あの日も祖母は美しかった。
 そんなに華奢な身体で、細い腕と足で、白い髪で、そんなに美しいことを言っていたら、軽くて軽くて、浮いてしまいそうじゃないか。消えてしまいそうじゃないか。そんなに白くて、軽くて、美しかったら。私はかみさまじゃないし、あなたも仏様じゃない。もっと欲張って、欲しがって、わがままを、何処へでかけたいと言えばいい。だから、あんまり美しいことを言わないでくれ。
 涙腺がじんわり緩み、喉奥がぎゅっと締まる。私は自分の憂いを飛ばすように、祖母の細い腕を掴むように、いたずらさを繕って言った。
「あんまり何でもないことに感謝してるとうっかり死んじゃうよ、もっと俗っぽいこと言ってないと。」
「そうね。でも、ほんとうに感謝なのよ。」
 夏を、秋を、冬を、春を、私の顔を、あと何回、見せられるのだろう。あと何回、あなたの顔を見れるのだろう。そしてもっと別のところにいる私が、生命に時間の限りがあることを思い出して、美しい、と見惚れていた。



1か月を思い返してnoteを投稿する。この習慣を持ってしばらく経ちます。書き起こすたびに、意外といろいろやってんじゃないのとびっくりする。
最近は日記を書いています。2〜3日に1回、100字に満たないようなものもあるけれど、だいたい500字前後のもの。これをするようになって夢を見る回数が減りました。つまり眠りが深くなりました。内側で溢れかえってる様々を文章という形に落とし込むことで安心するのでしょうね。
少しずつ、生き方を掴んできた気がします。


以下、7月のまとめ。

絶対次もやろうな。


塩分が敵ということがだいぶわかってきました。


サラダ記念日にサラダパーティーをしました。


ウクライナ国立民族舞踊団観に行きました。写真は犬です。


いとめちゃんと喪に服したようなスペースもしました。
文字の感想はまたちゃんと観てから書きます。

群像の夜「ノープ」

夏の伊勢。
作文の、そのドライブの日です。


山奥のパンはどれも豊かな顔をしていました。



映画
31年目の夫婦喧嘩
ヒューマンボイス
コクリコ坂
エンドロールのつづき
もののけ姫
ナウシカ
人間失格 太宰治と3人の女たち
マインドゲーム
アフターサン(7/31に観る)

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