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逃げたけど、楽はしなかったんだ。

 夜の高速道路を走り抜ける帰り道。君は2ヶ月先の話をし出した。今日が終わる寂しさから次の予定の提案をしようとしてるのだろう。これはおそらく、私の真似だ。君が私の内側の輪郭を触れ始めた頃、私は車を車線変更しひたすらに走り出した。フロントガラスとサイドミラー、そしてバックミラーに視線を動かすことで、立体的な景色を脳内に組み立てた。運転に集中していることを言い訳に、耳を塞いだのだ。君の声は少し遠くに聞こえた。何かを言う君に私は気のない返事をし続け、この突き当たりを無意味に先延ばしにした。1日の楽しかった思い出をエネルギーに私の気を引こうとするも、透けて見える私の心境に消耗していった。怪しくなる雲行きに私もゆっくりと共鳴する。大きな暗闇の下でふたりが揃って孤独に揺れた。視界の外の君の視線が私をじりじりと指す。ハンドルを握る指先が痛い。君のささくれじみた声が私の体のあちこちに絡まる。運転に集中していればいい。集中していればいい。運転に集中しなきゃいけないのに。君の意識が、私を押さえ込む。首元にゆっくり巻きつく。内側を恐る恐る触る。許してほしい、逃げたい。そう思い、やっとの事で突き当たりを提示する。
「次の予定は、決めたくないんだ。」

 どうしてこうなったのか、私にはわからない。ただ私は一生懸命に君の為になることをしていた。今が辛い君が楽になれるのではないかと思いつく事、そして私にできることを何でもした。君はそれを申し訳なさそうに受け入れて、「ありがとう。」と「ほんとうに、ごめん。」を並べて言った。
「私にとっては何でもないことだから、気にしないでくれ」「できることをするのはあたりまえのことだから。」と、私は真っ白な言葉で君を刺した。

 じっくりと内臓が震える声で私を呼ぶ時、「今ほんとうは抱きしめたほうがいいのだろう。」と本能でそう思った。現実から逃げて私という安心を与えたら君はどれだけ楽になるのだろう。時計が新しい数字を示すことに気づきながらも、なるべくなるべく、眠くないふりをして君をこの世に手繰り寄せた。呼吸音を聴かせながら、君の不安を吸収した。抱きしめたらどれだけ楽になるだろう。私が君の胸に顔を埋めながら全身の体温を渡すことで、君はどれだけ楽になるのだろう。目の前で湿っている女。私の指先が体に触れることで、私が君の特別な場所を撫でることで、君はどれだけ私に安心したのだろう。そして私はどれだけ楽ができたのだろう。
 過去と未来と今を線で結んで、ただ笑っていた君を思い出して一旦私は息を止める。疲弊した君は一生懸命に自身の体を支えていた。私も君も、楽はさせてあげられないんだ。

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