フィクション「敵」と5月まとめ。
ここで明らかな私と彼の分岐点が生じる。私のグラスで不安定に重なっていた氷が身を挺して時間の経過を告げるも、その声に耳を傾けたのは私だけだったのだ。氷は有能で、彼は無能だ。そう思いながら、私はプラスチック製の細いストローを指先で摘み、グラスの底のアイスティーと氷だったものを一撫でした。氷はもう一度時間について声を上げた。彼の気の抜けたジンジャエールがグラスに汗をかいて足元を濡らしている。私の視線を追いかけて、彼は言う。
「ああ、思ったより甘くてさ。」
「そうなんだ。ジンジャエールってお店によって味がすごい違うもんね。」
私は椅子に置いていたショルダーバッグを引き寄せた。
「そろそろ行く。今日はありがとう。」
「今日はどこへ行くんだっけ。」
「美術館、今モネ展やっててさ。」
「絵?」
「うん、絵が多いよ。他にもあると思うけど。」
「美術館って興味あるけどハードル高くて行ったことがなかったんだよね。」
彼が私を探っていることを、言葉の間合いから察した。彼は続ける。
「一緒に行ってもいい?」
そもそもが図々しい。私は楽しく自分の機嫌をとっていただけだ。人間の違いはたくさんあって面白い。だから私は聞くし、その返答の全てが楽しい。それを見て何の努力も無く好意を寄せてくるなんて。
ハンドミキサーで泡立てていた卵白5つ分のメレンゲが泡立つ。直径30cm強のステンレスボウルはいっぱいになった。仕上げにミキサーの強さを下げて、ゆっくりとくるくる回しキメを整える。予熱していた電子オーブンが「ピピ」と鳴り完了を教える。
あの後は最悪だった。モネにも芸術にも興味がない人間が横に張り付いての美術鑑賞。絵画の前で不規則に動く私の足に、ダンスパートナーかのように彼はぎこちなくもぴったりと揃えた。一生懸命に私を邪魔しないように、一生懸命に私を追いかけていた。彼の重たい視線が私の背中をずっと見張る。金縛りにあっているような窮屈さに私は逃げるように次の絵画へ向かった。
出来上がったメレンゲを、別のボウルで作っていた卵黄や小麦粉、サラダ油の入った黄色の生地と混ぜ合わせる。メレンゲの気泡が壊れてしまわないようにゴムヘラを使い、線を描くように切れ目を入れ、そして底から黄色の生地を掬い上げメレンゲの上に乗せる。さっくり、さっくり混ぜ合わせる。メレンゲと私は、常に臨戦体制だ。ここからの作業でメレンゲが壊れてしまったら私の2時間は全て無駄になる。無心に、手早く混ぜた。ムラがなくなったところで型に生地を流し込む。とろとろと帯状に流れ込むたまご色の生地。ボウルに張り付く残りも余すことなくゴムヘラで拭いとるとステンレスの面が綺麗に顔を出した。このゴムヘラの完璧な拭い取りに私はいつも感動する。
生地を入れ切った型を2cmほど上げて落とす。大きな気泡が生地の合間から抜け出してくる。これでよし。
型をオーブンに入れる。170度で40分の設定をし、焼き始めた。ヴーンという電子的な音を鳴らしながらオーブンはオレンジ色に光だす。疲れた。そう、男とは美術館を出て微妙な空気のまま別れた。おそらく私があまりにも勝手だったので驚いていたのだろう。そこに彼が「いつも楽しそう。」「優しい。」と言っていた私はいなかったから。
仕方がないでしょう。私だって優しくしたい。人を傷つけるようなことはしたくない。でも、それをすることを許さないのはお前たちじゃないか。無垢な無神経さは、私の孤立した思想を浮き彫りにする。楽しそうで優しい私は私のものだ。取り上げておいて、私が睨み返すと途端「ここに思っていた優しさはなかった」とショックを受ける。悔しい。私が酷いことをし始めたわけじゃないのに。
あっという間に、オーブンでシフォンケーキが焼けた。予熱で焼きが進まないよう急いで取り出す。オーブンの扉を開けた瞬間に熱気と共に甘くて香ばしい香りが私を一気に包み込む。見た目は上々。さっきまでぺたぺたの液体だったのに、ここに入れると途端よく知る形になる、魔法みたいだ。よく冷やして明日型から外そう。もう、たくさんの生クリームも用意する。絶対に。
テーマ:敵
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お粗末さまでした。
生き急いでるようなインプットに休憩を入れてました。
最近、友達とテーマを用意して作文する遊びをしているその中のひとつです。
例の如く、以下今月のまとめです。
でも4月のこと忘れてたから2ヶ月分ね。
順不同
狂言(野村萬斎)
ペトロールズ
カタシロ(途中)
刈谷市美術館(しりあがり寿)
映画
アクトオブキリング
片袖の魚
そうして私たちはプールに金魚を
きのう何食べた
コナン 漆黒のチェイサー
コナン サブマリン
誰もいない部屋 生者と死者の狭間
女神の継承
この世界の片隅に
花様年華
プラン75
シン・エヴァンゲリオン
X
ポケモン 結晶塔の帝王
ファンタジア2000
本
大江健三郎「大江健三郎自選短篇」(空の怪物アグイー)
川端康成「掌の小説」(心中)
谷川俊太郎「自選谷川俊太郎詩集」
水木しげる「総員玉砕せよ!」
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