【クラクラ旅日記】青森2日目 実業家・政治家の屋敷・庭園
11月18日(金)
ガイド付きの豪邸・庭園
案内地図によると九戸家住宅という大きな家があるらしいので行ってみたが、門が閉ざされていて入れない。近くの「金平成園」という庭園をのぞいてみたら、こちらは入場券売り場があって、400円で見学できるとのこと。
庭園だけでなく、建物も大名屋敷みたいに大きい。
入場券を買うと、背の高い細身のおばさんが音もなく現れて、「ガイドです」と自己紹介した。入場料をしっかりとるかわりに、専門の案内係がついて説明してくれるらしい。
縄文時代の信仰が感じられる庭
屋敷の建物は部屋がいくつあるのかわからないくらい広い。
部屋それぞれに水墨画や大和絵などの襖があり、欄間にも芸術的な細工が施されている。
庭園は真ん中に大きな池があり、そのまわりに美しい石や樹木がふんだんに使われている。京都の寺院や江戸の大名屋敷跡の庭園を思わせるような気もするが、「大石武学流」という津軽地方で広まった作庭の流派があるという。
「武学流」の特徴のひとつとして、礼拝石という大きな石が庭の中央に置かれ、そこでこの庭園に宿る神々を拝むようになっているとのこと。
石器時代から人類は、自然のあらゆるものに精霊がいると信じていて、それと一体になることが彼らの信仰だった。
縄文時代、つまり日本の新石器時代に栄えた津軽には、そうした太古の信仰が人々の心のどこかに残っていて、江戸から明治時代の庭園にも、それが反映されているような気がした。
実業家・政治家の贅沢?
この屋敷と庭園の完成は明治35年。企画から10年かかったという。
これを造った加藤宇兵衛は、黒石で酒造業を営んでいた一族の3代目で、若い頃から政治家として活動。黒石町議会議員や青森県議会議員を務めた後、国政に進出し、衆議院議員・貴族院議員を務めた人らしい。
黒石銀行を設立して頭取になったり、津軽鉄道や南陽銀行、東北生命保険などの取締役になったりしている。
この屋敷や庭園も、そうした地方財閥出身の政治家による贅沢三昧の産物なんだろうか?
支配・エリート層の地域貢献
明治時代には、どの地域にもこういう実業家・政治家が現れて、地元の経済振興や社会の整備に活躍している。
たいていは一族がその地域で醸造業や繊維産業を営んでいて、それなりの資本があり、その財力を活かして政界で影響力を持つようになったり、近代社会に必要な銀行や鉄道、鉱山などの事業を起こしたりしている。
元々地域を支配するエリート・大金持ちだったから、新しい時代にもエリートとして活躍できたとも言える。
しかし、こういう財力や人脈や知性を備えた人材が、地域のエリート層から出なければ、その地域の近代化は進まなかっただろう。
その意味では、エリート一族から出た実業家や政治家が、地域の近代化に貢献したのは決して悪いことではないという気もする。
公共事業としての邸宅・庭園造り
この庭園のリーフレットによると、加藤宇兵衛は失業対策の一環として庭園を造ったという。
屋敷や庭園の建設には多くの人や業者が関わるから、それだけ仕事が生まれるということか。
そういえば古代エジプトのピラミッドや巨大神殿も、農閑期に民が困らないようにするための、一種の公共事業だったという説がある。
かつては王が強制的に民を駆り出して、鞭を振るいながらピラミッドや神殿の工事をさせたと考えられていたが、最近の研究ではパンやビールが給料として支払われていたことがわかっている。貨幣がない時代には、食料が給料だった。
二日酔いで工事に出られなかったという内容の落書きが発見されているので、特に強制労働をさせられていたわけではないことがわかるという。
この庭園の「金平成園」という名前にも、「万民に金が行きわたり、平和な世の中になるように」という加藤宇兵衛の願いが込められているとのこと。
明治時代も格差社会だったらしいが、権力者や金持ちの中には、社会や民にそれなりの責任を負い、世の中や人の暮らしが良くなるように努力していた人もいたのだ。