【クラクラ旅日記】青森2日目 追憶の屋敷・庭園
11月18日(金)
親戚の屋敷・庭園を思い出す
金平成園を見学しているうちに、母方の伯母が嫁いだ家の別宅を思い出した。
その家は福島県北部にある地主だったのだが、僕が訪ねた頃は戦後の農地解放で普通の農家になっていた。
ある時そこの従兄弟が「新宅」に案内するというのでついていったら、桂離宮とか修学院離宮を小さくしたような美しい屋敷だった。
庭には大きな池があり、建物の一部が水上に大きく張り出していて、それがなんとも優美だと子供心に感じた。
その家本宅は大きいけれど、普通の藁葺きの農家だったので、別宅らしいその「新宅」がどうして文化財的な邸宅なのか不思議に思ったのを覚えている。
いつもは入れないのを、特別に入れてもらったようなので、おそらくその時すでにその家の所有物ではなく、人手に渡っていたか、自治体の管理下にあったのだろう。
建築・庭園をめぐる楽しみ
「新宅」は見たところ、本家の農家建築よりも古い江戸初期くらいの書院建築的な建物だったが、もしかしたら金平成園や斜陽館のように、明治時代に昔の書院づくりを模して造られたのかもしれない。
地方には明治から昭和初期にかけて贅を尽くして造られた、こういう屋敷や庭園があちこちにあるらしい。
その中には金持ちが道楽で造ったものもあれば、地域貢献意識高い系の実業家・政治家が造ったものもあるのだろう。
どっちにしても世の中にカネを回すことにはつながっただろうし、訪れた人を楽しませる文化的な役割も果たしただろう。
今では再現が難しい、そういう建築・庭園を訪ねて、その地域の歴史や経済・社会のあり方についてあれこれ考えるのも悪くない。
追憶とクラクラ歩行
金平成園をきっかけに、子供の頃に行った母の姉たちの嫁ぎ先や、母の実家の記憶が次々蘇ってきた。
歳をとるにつれて、失われていた記憶は鮮明に蘇るのではなく、むしろぼんやりしたまま幻のように連なって目の前を流れたり、押し寄せてきたりする。
自分では制御できないので、やってくるままにするしかないのだが、だんだん頭がクラクラしてくる。
歩いているのも危ない気がするが、人も車もほとんど通らないせいか、なんだか幸せな気分に包まれながら、ゆっくり駅まで戻ることができた。
ローカル列車を逃してバスを待つ
駅に着いたら1時間に1本のローカル列車はまた出たばかりだったので、十数分後に駅前広場から出るバスを待つことにする。
待っているあいだにどこかで見た女性がやってきた。
さっき髙橋家住宅のカフェで話した女性客だった。
この近くにある自宅に帰るところだという。
金平成園に行ってきたと話すと、
「あそこは400円とるでしょう」と、さもけしからんと言わんばかりの口調で言う。
そういえば、さっき金平成園の女性ガイドに「新宅」の話をしたら、
彼女は「それはぜひもう一度訪ねて、どうなっているか見てみるべきですね」と、確信に満ちた口調で言っていた。
どうやら自治体がこの屋敷・庭園の保存・管理を引き受け、有料で運営していることに誇りを持っているようだ。
地元の人には地元の文物に関して、彼らなりの視点や立場があり、それに基づくいろんな意見がある。
そういう人たちの見解に触れるのも、旅の楽しみではある。