三千世界への旅 魔術/創造/変革18 キリスト教の「魔術」
ユダヤ教の改革派としてのキリスト教
ここからは、キリスト教が誕生し、ローマ帝国領土とその周辺地域に広がった時代について考えて行きたいと思います。キリスト教については、「人類史まとめ」でもあれこれ考えましたが、ここでは初期キリスト教にあったと思われる魔術的な変革のパワーについて考えます。
ただし、ここでもフォーカスしたいのは、「魔術」は超常現象を起こすとされるような魔術ではなく、古代社会に大きな変革を起こした社会現象としての初期キリスト教と、変革の源泉としての思想です。
よく知られているように、キリスト教はユダヤ民族・ユダヤ教の改革運動のひとつとして生まれました。
私たちが知っている多くの宗教史的な視点は、キリスト教確立後にキリスト教徒側、西ヨーロッパ側の視点からこの変革を見ているので、ユダヤ人・ユダヤ教を否定的に見がちですが、初期キリスト教はユダヤ教から派生的に生まれた宗派であり、その根底にはユダヤ人が民族的な疎外・迫害で鍛えられた自己批判力、自己革新能力、自分が陥った落とし穴から自分で脱出しようとする意志が機能していると僕は考えています。
つまり、ユダヤ教がエレミヤやエゼキエルの時代、いわゆるバビロン捕囚の危機の時代に大きな変革が起きたことで、私たちが知っているいわゆるユダヤ教になったように、キリスト教もユダヤ教徒・ユダヤ人の自己変革から生まれたということです。
ただこの変革には、ユダヤ教にはなかった創造的、革命的な思想の生成が含まれていました。
改革者イエス
ユダヤ王国がローマ帝国によって滅ぼされたのは紀元66年ですが、その少し前、ユダヤ王国の内部から新しいタイプの告発が生まれました。告発者はイエスという名で、戒律を守るだけのユダヤ人を堕落した人間として批判し、神の裁きがもうすぐ下されるから悔い改めて、敵や他人を自分と同様に愛する生き方をしろと説きました。
この経緯は、新約聖書つまりキリスト教のオフィシャルな文書によって伝えられていますが、これが近代的な意味での歴史的事実なのかというと、そうでもない可能性もあり、新約聖書の福音書に書かれているようなイエス・キリストは実在しなかったんじゃないかという説もあるようです。
後世の研究によると、イエス・キリストが福音書に書かれているようなことをやって処刑されたといったことは、当時のユダヤ王国にも、この国を属領として統治していたローマ帝国の資料にも出てこないとのこと。
しかし、ユダヤ人と旧約聖書について考えたときもそうでしたが、僕が明らかにしたいのは歴史的な事実そのものではなく、当時の人と社会に影響を与えた価値観や考え方です。
キリスト教の価値観や考え方が、ヨーロッパの人と社会を大きく変えることができたのはなぜなのかを考えていくために、ここではとりあえず新約聖書の福音書と、その研究から推測されている歴史的な経緯を、仮の「事実」として、勉強を続けます。
「神の子」イエス
当時、ユダヤ教会と指導者の世俗化、堕落に反発する勢力は他にもいたようです。
イエスによるユダヤ教会批判も、形式的な戒律重視、組織重視になったユダヤ教指導者とユダヤ人の価値観を批判したという意味では、エレミヤやエゼキエルなど過去の預言者の系譜に連なる改革者であるとも言えます。
ただし、イエスはエレミヤやエゼキエルのようにヤハウェの言葉をただ伝えるのではなく、自分の言葉で自分の考えを語っています。
ある意味で神のように語っているとも言えますが、イエス自身は自分を神そのものであるとは言っていません。神によって地上に派遣された者として語るだけです。イエスを神と一体化させたのは、彼の死からかなり経ってからのキリスト教団であって彼自身ではありません。
イエスとキリストと神
新約聖書は使徒たちの手紙や、彼らの記憶を元にまとめられたイエスの活動ドキュメントを、イエスの死後かなり経ってから編纂し、教団の公会議と呼ばれる全体会議でフィックスされた文書です。
その中でも、イエスは十字架にかけられて、天の神に「父よ、あなたは私を見捨てて、助けてくれないんですか」みたいなことを言っていますから、彼は神の子供ではあっても神そのものではないわけです。
イエスを神と同一とするのは、キリスト教の考え方の根幹ですが、イエスが実在の人物だったとしたら、少なくともそのイエスは神そのものではなかったし、彼自身も神であるとは考えていなかったでしょう。
福音書の物語の中で、彼は不治の病を治したり、水の上を歩いたり、ひとかけらの食料を何十倍にも増やしたりと、いろんな奇跡を起こしたことになっていますが、物語の設定としても、それは神そのものだからではなく、神から与えられた不思議な力、精霊のパワーによって行われているという感じに読めます。
イエスの基本思想
イエスの考え方は、自ら他人を愛し、助け合いながら生きることを提唱している点が斬新で、ある意味革命的なものでした。そこには人間自身がやるべきこと、人間としての生き方が提案されているからです。
それまでのユダヤ教がユダヤ人に求める正しい生き方とは、神との約束である戒律を守ることでした。つまりすべての価値は絶対的な存在である神との関係で決められていて、人間どうしの関係は二の次です。
他の宗教、つまり多神教でも、神にどんな祈り方をして、どんな生贄を捧げるかといったことが、人の行いの正しさを決めるのであって、人が人に対して何をするのが正しいのかといったことは問われていませんでした。
イエスは人と人の関係、人が人に対する姿勢や行為の正しさを説きました。その根本にあるのは人と人の愛、思いやりです。多神教のような宗教儀礼や、ユダヤ教のような生活を規定する戒律ではなく、人が人と生きるための姿勢、生き方がそこでは問われます。
後の時代から見れば、それは倫理と呼べるものかもしれません。人が社会の中で他人とどう関わって生きていくべきかを、ヨーロッパの歴史上初めて定義した哲学と言ってもいいでしょう。
それはある意味で、信仰のルールで束縛された古代社会からの解放でもありました。だからイエスと教団は迫害され処刑されたのです。
古代の思想改革
このイエスの思想は、ヨーロッパに限らず、「人類の歴史上初めて、人が人と生きるための姿勢を追求した思想である」と言ってもいいかもしれませんが、中国の孔子が500年くらい前に、人と社会のあり方を追求し、定めているので、「人類史上初」と言い切ってしまうのはためらわれます。
孔子の思想はイエスのそれと違って、人の個々人としての生き方から、人と人の関係、社会や国家のあり方までトータルに考えた、巨大な思想・学問の体系です。同じような時期に古代ギリシャのアテネでプラトンやアリストテレスが試みたことを、倫理的なことも含めてもっと広い領域で、東洋の思想家がやっていたという意味でも注目に値します。
古代ギリシャから影響を受けたヨーロッパが近代に世界の覇権を握るようになったので、その意味ではギリシャの学者たちの方が世界への影響は大きかったと言えますが、世界史の時間軸で見るかぎりは、孔子を初めとする中国の思想・学問の体系もなかなか画期的だと思います。
体系的学問と宗教的理念
こうした紀元前5世紀あたりに生まれた学問の体系は、後世に大きな影響を与えましたが、イエスの思想とはひとつの点で大きく異なっているように思えます。
思想・学問の体系とは構築され、固定されたものであり、知性や理性によって理解され、活用されるものですが、イエスの思想にそういう構築された体系はありません。
彼が求めるのはむしろ正反対のこと、つまりそうした体系的な構築物を打破し、自分を解放しろということです。社会や国家や宗教の教団に囲い込まれるような価値基準から自由になり、ただの人として他人を愛し、共に生きろということです。
こう考えてくると、イエスの思想はプラトンやアリストテレスよりも、その先輩であるソクラテスに通じるところがあるように思えてきます。
哲学を体系化するのではなく、そうした体系を魔術的な論理で破壊し、人間を解放しようとしたという点で、ソクラテスとイエスの基本姿勢には、共通する点がある気がするからです。
孔子の思想は彼の死後、儒教として漢以降の国家に制度として導入され、日本でも江戸時代にオフィシャルな思想・制度として採用されました。体系化され、権力装置の一部になってしまうことで、孔子がめざしていたものとは正反対の思想になってしまいましたが、彼が元々めざしていたのは、内発的な生き方・考え方による社会全体の調和といったものでした。
イエスの思想も、彼の死から数百年後にカトリック教会や正教会など、政治と結びついた組織が統括するようになったことで、儒教と同様、本来の在り方とは正反対の思想になってしまいましたが、ここではそういう後の歴史的展開はさておいて、魔術的と言えるくらい革新性を持っていた初期のキリスト教について考えていきます。