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“HSPは免罪符ではない”にHSPとして思うこと


私はこれまで、スイ@HSPのアカウント名で、HSPの記事をいくつか書いてきました。

そして今回は、HSPとしてネット上に見られる“HSPは免罪符ではない”に対して、ちょっと思うところを書いていきたいと思います。



まず、HSPは免罪符ではないという言葉の背景にあるものを調べてみました。

すると世の中には、HSPであることを理由にクレームまがいの主張をしたり、まわりに過度な配慮を求めたり、逆に消極的な態度で請け負うべき業務を請け負わない人などがいる

ということがわかりました。

“受け身”、“被害者意識”、“他責思考”や“逃避思考”といったキーワードが散見され、“繊細ヤクザ”という言葉にもたどりつきました。

どうやら世の中には、「私はHSPだから~」と、HSPであることを言い訳にして、

やるべきことを怠ったり、人に業務を押し付けたり、まわりの人に不快な思いをさせる人が一定数いることを知りました。



しかし、そもそも私個人の意見として、HSPと積極的に社会で名乗っている人は、本当にHSPなのかな?というところがあります。

もちろんHSPにも個人差があり、本人がHSPだと思ったらそれはHSPなのだろうと思いますし、それは個人の自由なのだと思います。

しかし、私が思うにHSPの第一のモットーは、他人との調和です。

他人との調和に徹するあまりに消耗してしまい、その繊細な気質ゆえにうまく立ち回れず生きづらさを抱えてしまうのが、HSPの特徴だと思っています。

そう考えると、HSPだからということを言い訳にして、

歩み寄らない
努力しない
まわりに配慮を求める

といった態度を取る人は、HSPではないのではないか?と、純粋に思ってしまいます。

冷静に考えても、HSPの特徴と矛盾しているからです。

HSPの根幹にあるものは、感覚過敏であるがゆえに他者との境界線が薄いことだと私は考えています。

そのために、まわりの環境に影響されやすく、また自分自身の思考や過去の記憶などにも圧倒されることがあります。

しかし、そのことでまわりの人に理解や配慮を求めようという発想にはなりません。

ますますまわりに対して申し訳ない気がしてしまうし、ますます生きづらさを抱えてしまうからです。


そもそも、冒頭でも書いたように、HSPは本当に社会でHSPと名乗ったりするのだろうか?と思います。

たいていの人は、HSPと名乗ったところで「だから何?」という反応を示すだろうし、その反応に対して私は一ミリも疑問や不満を抱いたりしません。

ましてや、HSPと名乗ることで相手に何かを要求しようなんて発想は、HSPとして到底持てるとは思わないのです。

私が自分がHSPだと打ち明けるのは、ひょっとして同じような繊細気質を持つのではないかと思った人だけです。

そこで、そうそう!と共感しあうためのツールとして“自分はHSPだ”という言葉があるのであって、

間違っても、他人に何かを要求するために名乗ることはしないからです。


もちろん、HSPであることを盾にして、相手の権利を侵害したり、相手に不快な思いをさせることはよくないことです。

しかし多くのHSPは、当然そういったことに自覚があるだろうし、

むしろ、相手の権利を侵害したり、不快な思いをさせないように神経をとがらせて生きている人が大半なのではないかと思うのです。(あくまで自己流ではありますが)


HSPは免罪符ではないと言えるのは、あくまで一部の人に言えることであって、

本当に・・・HSP気質に悩む人は、HSPは免罪符ではないと思われるような行動はしないと、私は考えます。




自らがHSPなのだと自覚することは、“設計図”を手に入れたようなものです。

これまでわからなかった自分の脳の仕組みが、HSPという設計図を手に入れたことによって、よくわかるようになった。

そしてその設計図は、あくまで自分が自分を理解するために使うものです。

間違っても、他人に対して、「ほら!これが私の設計図なの!だから優しくしてよ!」などと言う風には、使おうと思わないのです。

そりゃあ、HSPであることを言い訳にしてやるべきことをやらなければ、まわりからは反感を買うだろうし、HSPは免罪符ではないと言われてしまうのも理解できます。

ただ、HSPとして生きづらさを抱えている人にとって、“HSPは免罪符ではない”という言葉は、的外れで本質をとらえていない言葉のように思うのです。

HSPのベクトルはあくまでも、生きづらさを抱えながらもそんな自分を自己受容し、繊細さを強みとしてとらえ、自分やまわりを幸せにするツールとして活かしていくことにあります。

間違ってもそのベクトルは、他人に向けられるものではないのです。




今回は、あくまでHSPであるがゆえに生きづらさを抱える者として、個人的に思うことを書かせていただきました。

繊細さは長所であり武器です。自分やまわりの人を幸せにする力なのです。

間違っても、誤解を招いたり、人を不快にさせるようなものではないのです。

世の中にはいろいろな立場があり、さまざまな意見があるかとは思いますが、

“HSP”という言葉のイメージが一人歩きした結果、本当に苦しんでいる人がこれ以上さらに苦しめられることのないような社会になってほしいと思います。



ここまでお読みいただき、ありがとうございました🍀


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スイ@HSP
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