こじらせ女子が本当の意味で愛されるために必要なこと
もしもシンデレラが回避依存症だったら
王子様の使いが訪ねて来ても
“私にもガラスの靴を履かせてください”
とは言いださないだろう。
もしもシンデレラが恋愛依存症だったら
“運命の王子様なら、ガラスの靴を履く前に見つけ出してほしい“
と願うだろう。
もっと言ってしまえば、王子様と出会った時点で
“今までどこにいたの?”
“私、ずっと独りぼっちだったのに…”
“なんでもっと早く迎えに来てくれなかったの?”
と、不満をぶつけるだろう。
いずれにせよ、“ガラスの靴が履けて、めでたしめでたし”とは、ならない。
なぜか?
こじらせていると、幸せが来ても受け入れられない。
なぜこじらせてしまうのか。
それは
“自分は愛されなかった”
という思い込みを元に、アイデンティティーを構築しているから。
自分は愛されていたとなると
それを一から書き換えなくてはいけなくなる。
見ている景色
選び取っている景色がまるで違くなる。
このやっかいなこじらせを卒業するには、
自分は愛されていたことを認める。
また、
愛されたかったことを認める。
そして、
愛の無価値化をやめる。
なぜ愛の無価値化が起きるのか?
そうしないと生きてこれなかったから。
自分の尊厳を保てなかったから。
愛されていない自分として生きるには
愛を無価値化するしかなかったから。
それを、ひっくり返さなければいけない。
自分は愛されないをゴールにして生きてきた。
ずっと愛がない世界を選んできた。
よかれと思って。
それが、自分のためだと思って生きてきた。
運命の王子様に出会ったら、
自分のアイデンティティーを一から構成し直さなくてはいけない。
こじらせ女子は、たった一晩、魔法使いにドレスを着せてもらって王子様と舞踏会で踊っただけで、
ハッピーエンドとはならない。
なぜなら、ずっと灰をかぶって、継母たちにいじめられながら生きてきたのだから。
“本当は、私は愛される女性なんです”
とは、すぐには思えない。
普通に生きていたら、魔法は起きない。
突然目の前に魔法使いが現れて、美しい姿に変えてくれるわけではない。
だから、自分自身が魔法使いとなって、
自分は本当は愛されるお姫様であることを
思い出していかなければならない。
※関連記事