セサミストリートからアンガーマネジメントを学ぶ
ずいぶんとカタカナの多いタイトルになってしまいました。
最近、暗いニュースが多く気分が下がる中で、癒しを求めてエルモの動画を狂ったように見ていたのですが、
ちょっとおもしろい動画を見つけたので、今回はそれをもとに記事を書こうと思います。
時を超えて勃発した“エルモvsロッコ”騒動
みなさんは、“セサミストリート”をご存じでしょうか。
セサミストリートは、1972年~2004年までNHKの教育テレビで放送されていた、アメリカの子ども向け教育番組です。
日本での放送が終了してから20年近く経つので、イマドキの人はあまり知らないかもしれません。
そんなセサミストリートの有名で愛くるしいキャラクターと言えば、そう、エルモです。
かわいい、優しい、フレンドリー、愛くるしいといったイメージで長年世界中から愛されているエルモですが、
そんなエルモ、今年2022年の初頭にある動画がバズり、愛くるしいキャラクターの裏の顔が明らかになりました。
その動画が、こちら。
いいねが現時点で44.3万回という、驚異の数字になっています。
この動画には、ゾーイという女の子のキャラクターが出てきます。
このゾーイというキャラクター、石のペットである“ロッコ”をこよなく愛しています。
そしてエルモと遊ぶ時もロッコと一緒です。
エルモとの待ち合わせに遅れた理由を、
「ロッコがトイレに行ってたから」と言ったりして、エルモをあきれさせたりします。
そんなゾーイとエルモがクッキーを食べようとしていたシーンが、バズった動画の部分になります。
動画の前のシーンで、ゾーイとエルモに別々のクッキーが配られたとき、ゾーイが“誰か忘れてない?”と女性に尋ねます。
ロッコの前にクッキーがないことに気づいた女性は、ロッコにも別のクッキーをあげるのですが、
なんとそれはエルモの大好きなオートミールレーズンのクッキーで、しかも、それが最後の一つだったのです。
当然エルモは、ロッコに差し出されたクッキーをもらおうとしますが、
そこでゾーイが、“ロッコもそのクッキーを食べたがっている”と言い出します。
“石なんだから味なんかわからない”と怒りだすエルモに、
“ロッコだってクッキーの違いがわかる。ロッコはこのクッキーを食べたがっている”と反論します。
これに堪忍袋の緒が切れたエルモ、叫び出します。
“どうやって?どうやって石がクッキーを食べるの?エルモに教えてよ!”
“石にはくちがない!”
“ロッコはただの石だよ!”
“石はいきものじゃなーーーいッ!!”
もう、めちゃくちゃ怒ってます。
いつもは友だち思いで優しくて、いわばマペット界の“スーパースター”であり、“優等生”として君臨していたエルモがこんな怒るなんて…
という衝撃が走ったことが、動画がバズった要因と考えられます。
調べると、この回は“Elmo feels he's treated unfairly by Rocco”というタイトルで、2004年に放送されていました。
知る人ぞ知るエルモの裏の顔が、18年の時を超えて一躍脚光(?)を浴びることとなったのでした。
“エルモvsロッコ”騒動の背景にあるもの
このエルモvsロッコ騒動、調べるとニューヨークタイムズのネット記事に面白い記述がありました。
記事の中で精神科医のコメントとして、
というようなことが書かれています。
エルモが怒っている場面を集めたYouTube動画のコメント欄にも、
“エルモは怒って当然だ”
“エルモに共感できる”
といったコメントに、いいねが多くついていました。
“ゾーイはロッコというペットを使ってわがままを言ったり、自分の要求を通そうとしたり、特別扱いを受けようとしている。そんなゾーイにエルモが怒っても当然だ”
というコメントもありました。
しかし、よくよく考えてみると、ゾーイの年齢設定は3歳です。
はたからみたら、それくらいの年齢の子ならよくあることでしょ、と思われるかもしれません。
しかし、よくある子どものケンカのシーンにしては反響が大きい気がするのです。
それはいったいなぜか。
私が思うに、石をペットにしている人に翻弄されたことがなくても、理不尽なことで我慢を強いられた経験をしてきた人は、割と多いのではないでしょうか。
兄や姉に生まれたばっかりに、親から“妹や弟に譲りなさい!”と言われて育った人もいるだろうし、
学校や会社で、不本意ながらも、本来の自分のキャラとは違う自分を引き受けている人もいるだろうし、
なにより、記事にもあるのですが、私たちはここ数年流行り病によって、いろいろと我慢を強いられている状況にあります。
“それってフェアじゃなくない?”
“それってどうなの?”
と思うことでも、私たちは我慢をしたり譲ったりしなければならないのです。
それどころか、それっておかしくない?不公平じゃない?と思った方が、
幼稚
子どもっぽい
自分勝手
といったようにとられてしまうこともあります。
自分の正当な権利を主張しているだけなのに、
心が狭い
いじわる
といったように、思われてしまうのです。
そのため私たちは、フェアじゃない!不当な扱いを受けている!と思った感情を、いわば押し殺している状態といえます。
それが、“優等生”で知られるエルモが、大好きなクッキーが食べられないという理由で怒ったことで、
…エルモ、めっちゃ怒ってんじゃん。
それも、クッキーを石にとられたことで…!
と、驚きとともにある種の開放感を多くの人にもたらしたのだと思われます。
自分よりも弱い立場の人や、年下には譲らないといけない。
どうにもならない事にいちいち腹を立ててもしょうがない。
我慢するのが当たり前だ。
だから、怒っちゃいけない。
そんな中で、“あのエルモがあんなに怒りをあらわにしている…!”という意外性と、そこから発生したエルモへの親近感が、動画がバズった背景にあるのではと感じます。
ネガティブな感情をどう相手に伝えるか
この動画の結末、いったいどうなったのかというと、Muppet Wikiというサイトによると、
クッキーをあげた女性がゾーイを説得し、最終的にエルモはお気に入りのクッキーを食べることができたようです。
自分が我慢すればいいから
角が立つといけないから
などと考え、私たちは不満や違和感を抑え込んでしまうことがあります。
もしくは、ドアを強く閉めたり、ため息をついたり、ぶっきらぼうな言い方をするなどして
なんとか相手にこちらが怒っていることを知らせようとしてしまうこともあります。
ネガティブな感情は、どうしても人に伝えづらいです。
自分がイヤだなと思っても、相手にどう思われるか気にしてしまったり、言わなくてもわかってほしいという気持ちから、うまく表現することができません。
その結果、私たちは往々にして、態度で相手にわかってもらおうとしてしまいます。
しかし当然ながら、そういった方法ではこちらの思いが相手に正しく伝わりません。
私は自分自身のみならず、これまでの人生を通してそういった怒りの表現をしている人をたくさん見てきました。
むしろ子どものほうが、かえって大人よりも怒りの感情を正しく表現していることもあります。
よく、アサーティブコミュニケーションなどといい、自分の気持ちを抑え込みすぎず、かといって一方的に主張しすぎずに、
相手の気持ちを尊重しながら正しく自己表現するという方法が提唱されています。
しかし、これがなかなか難しいのです。
ほんの少しの勇気と工夫で相手に自分の気持ちを正しく伝えられることができるのに、
なぜだか私たちはそうすることを怠ってしまい、
なんとか自分たちの都合でやり過ごそうとしてしまいます。
アサーティブコミュニケーションの一つに、アイメッセージという方法があります。
それは、アイ(自分)を主語にして相手に伝えるというもので、
例えば、
などと、自分を主語にすることで柔らかい印象を与え、角が立たないようにするとあります。
そしてなんと、よくよく調べると、エルモはこのアイメッセージを使ってゾーイと仲直りしていた放送回があることがわかりました。
それは、1995年に放送されたもので、ゾーイがエルモから教えてもらったジョークを、エルモより先にセサミストリートの住民に言いふらしてしまった、というお話です。
ジョークを披露する機会を奪われ、もう披露できる人がいない!とエルモは怒り出しますが、
ある女の子から、ゾーイはエルモが怒ってることを知らないだろうから、気持ちを伝えてみたら?とアドバイスされます。
エルモは、ゾーイはエルモを怒らせた自覚があるべきだ!と反論しつつも、ゾーイに自分の気持ちを伝えることにします。
そのシーンがこちら。
なんて言っていいかわからないんだけど…と前置きをした上で、
“エルモはとってもとってもとっても怒ってるんだよ”
“エルモはゾーイがみんなにエルモのジョークをいいふらしちゃったから怒ってるんだよ”
と、アイメッセージで怒ってます。
動画はここで終わってしまいますが、その次に“エルモは自分で自分のジョークをいいたかったんだ”、と言います。
それに対してゾーイは、“エルモが自分でジョークをいいたかったこと、エルモを怒らせていたことを知らなかった”、と謝ります。
感情的に伝えてはいるものの、エルモはきちんとアイメッセージで自分の気持ちを伝えているのです。
そして、“もう誰もジョークを言える人がいない…”となげくエルモに、
“エルモのジョークの言い方が世界で一番おもしろくて好きだから、もう一回見せてほしい”とゾーイがお願いして、最終的に2人は仲直りするのでした。
自分と違う価値観を持つ人に出会ったとき
この放送回を見ていてなるほどなぁと思ったのは、双方の価値観の違いの描写です。
エルモは、ゾーイはエルモを怒らせた自覚があるべき!と怒ります。
しかしゾーイはゾーイで、エルモがなぜ怒っているのか、そのわけを知ったあとでさえ、「だからどうしたの?」という様子なのです。
なぜならそれは、ゾーイにとっては気にならないことだからです。
怒りのポイントは、本来一人ひとり違っています。
自分が怒るポイントで相手も怒るとは限りません。
怒りのポイントのみならず、どこに感動するのか、どこに価値を見出すのかは、人それぞれでなのす。
しかし、みんな同じ価値観を持っているという前提で人間関係が成り立ってしまうと、こういったすれ違いやケンカが起きてしまいます。
これは個人的な意見なのですが、
それぞれの価値観を確立し、他人の価値観とどう折り合いをつけるのかを教える機会が、今の社会には圧倒的に不足している気がします。
自分の学生時代や児童福祉に携わっていた経験を振り返ってみても、
どうも、“共通認識を大事にしましょう“というメッセージのほうが、教育現場において重視されているような気がしてしまうのです。
もちろん共通の認識を持つことは大事ですが、それよりも、同じ言語を話し同じ人種であったとしても、
一人ひとりの持つ価値観は基本的に違っていて、その違いを前提にして人間関係を作り上げていく力や包容力を養うことが大事だと思うのです。
そうでないと、私たちは、“自分と違う人”や“教えられたことと違うことをする人”を、悪とみなしてしまいがちです。
和を乱す
自分勝手
協調性がない
などと決めつけ、仲間外れにしてしまうのです。
そして、大多数だからという理由だけで、違う価値観を持つ人を“よくない”、“悪い”と評価してしまいます。
そして、それはまた、他の人とは違う価値観を持つ自分に対する自己否定につながり、自己肯定感が低下してしまうこともあります。
それらを防ぐためには、共通認識を持たない人をはじいたり、仲間はずれにするのではなく、
自分と違う価値観を持つ人に対して、自分が選ばなかった選択肢のうちの一つを選んだ人に過ぎないという認識を持ち、理解を示すことが重要だと感じます。
セサミストリートのキャラクターに見る多様性
セサミストリートに登場するキャラクターを見てみると、ものすごく多様なキャラクターが登場していたことがわかります。
これらのキャラクターに加え、両親が離婚したアビーという妖精の女の子がいたり、
ジュリアという名前の自閉症の女の子のキャラクターが、2017年から登場しています。
日本人の感覚からするとその多様性に驚いてしまいますが、
アメリカはいろいろな文化を持つ人が集まっているので、そういった異なった背景を持つ人たちへの理解が特に必要とされている事情があるのかなと思いました。
※大坂なおみさんをゲストに迎え、日焼けや肌の色を主題にしたミニコーナーもありました。
セサミストリートの多種多様なキャラクターを知り、あらためて思うことは、
私たちの人間関係はあくまでも、相手に自分の気持ちを理解してもらうことや、相手の気持ちが理解できるということを前提にするのではなく、
一人ひとりの価値観や考え方は違っていることを前提にする必要性があるということです。
自分の大事にしている価値観や考え方はそのまま大事にしつつも、それを変に抑え込んだり、逆に一方的に主張するのではなく、
お互いが気持ちよくいられるようにすることが、今の時代、家庭や学校や会社で一番求められているスキルな気がします。
相手の価値観をどれくらい受け入れるか
“ロッコはただの石!”とことあるごとに叫ぶエルモですが、こんなシーンがあります。
席を外そうとしたゾーイに、「私がいないあいだロッコの手をにぎっててあげてね」と無茶ぶりされたエルモは、不満に思いながらもロッコに手を添えます。
しかし戻ってきたゾーイから、「そこはロッコの手じゃなくておしり」と衝撃の事実を知らされ、慌てて手を放し「きもちわるい!」と叫びます。
…エルモ、めちゃくちゃかわいくないですか?
もはやコントです。吉本新喜劇を彷彿とさせるようなおかしさです。
このシーンで何がわかるかというと、エルモはちゃんと、“ロッコは大切なペットだ”というゾーイの価値観を共有してあげている、ということです。
エルモはゾーイに歩み寄っているのです。
動画にはありませんが、その後、再度その場を離れるゾーイに対し、「今度は手はつながないよ」とエルモが釘を刺すと、
「ロッコが耳元でハミングしてほしいといっている」とまたもや無茶ぶりが。
けれど、エルモは怒りながらもロッコに顔を近づけてハミングしてあげるのです。
しかし戻ってきたゾーイに、「それは耳元じゃなくて鼻の穴よ」と言われ、「おえっ!!」とのけぞります。笑えます。
相手の価値観を受け入れることは、かなりハードルが高いです。
私たちはゾーイと同じように、ロッコをペットとして扱うことは出来ません。
なぜならゾーイ以外の人にとっては、ロッコは石でしかないからです。
三歳半にしてマペット界の優等生キャラを確立しているエルモですら、しまいには怒りだしてしまっています。
しかし、ロッコを生き物として見られなくても、“ゾーイにとってロッコは大切な存在なのだ”と認識するだけでいい気がします。
相手の価値観を受け入れるか自分の価値観を受け入れさせるかという究極の二択ではなく、
まずは、相手にとって何が大事なのか把握することだけでも、その関係性は違ってくると思うのです。
まずは、相手の価値観を把握する。
それだけでも、相手のことがぐっと理解できるようになります。
相手の価値観を把握するということは、相手に対してもう既に一歩、歩み寄っているということです。
そして、歩み寄るだけでも、その相手への見方は違ってきます。
たとえ相手の価値観を取り入れられなくても、その見方が違ってくることによって、
理不尽に傷つけてしまったり、相手の権利を侵害してしまうことが減るのではないかと思っています。
エルモvsロッコ騒動の結末
エルモの激おこ動画が投稿されてから2日後、エルモの公式アカウントから火消しともとれるコメントが発表されました。
エルモとゾーイは譲り合いの練習中なだけでズッ友だから心配しないでね☆みたいな感じのツイートです。さすがマペット界の優等生。コメントが100点満点💯です。(そしてさりげなくロッコについては話したくないとも書いてます。笑)
そして、以下のツイートが続きます。
誰か、石がクッキーを食べてるのみたことある?とつぶやいてます。
そんな人いないでしょ、と思いきや、なんとあるハリウッドスターが反応しました。
ドウェイン・ジョンソンさんは元プロレスラーで、リングネームがザ・ロックという名前らしく、
“ロック”はクッキー食べちゃうよ~。クッキーモンスターにセサミストリートにあるクッキー全部食べちゃうからよろしく伝えておいてね~的な内容のツイートをしてます。
これに対してクッキーモンスターの公式アカウントが、「ミーは挑戦を受けて立つ!」とツイートしたり、オレオの公式アカウントからもツイートがあったりしておもしろかったです。
そして、セサミストリートの公式チャンネルに、エルモvsロッコの最終決着ともいえる動画があげられました。
取り乱していた過去の放送回とは違い、エルモはかなりゾーイに歩み寄っています。エルモ、20年以上かけて大人になりました。
ただ、あきれた顔をカメラに見せてきたり(1:28)、ロッコのおともだちにつける名前が超適当で、雑な感じが笑えます。
個人的には、やっぱり怒っているエルモのほうが、人間味(?)があって魅力的だなぁと思いました🤭
◆おまけ◆クッキーモンスターのパロディ動画
クッキーモンスターの『スター・ウォーズ』シリーズのパロディ動画です。
40年以上にわたって制作された超大作を5分に凝縮し、本来のキャラを活かしながらもさらっとネタバレをぶっ込みつつしっかりとオチまでつけた、素晴らしいパロディになってます。
“フォースと共に…”の名セリフが、“フォー(4)と共に…”とか、
ダース・ベイダーがダース・“ベイカー”になっていて、頭にかわいいコック帽をかぶっていたりと、くだらないゆるさがツボにハマりました。
『スター・ウォーズ』シリーズ好きな方は、必見のおもしろさです!
ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました🍪💗
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