スピリチュアルな世界を受け入れきれていなかった話
今から約10か月前に、初めて本格的にスピリチュアルを題材にした記事を書きました。
(当時はかなり投稿するのに抵抗があり、願掛けを込めて投稿時間はあえてゾロ目にしました)
また、こんな記事も書いてきました。
これまで私は、さもスピリチュアルなことをわかったように書いてきましたが、ここ最近スピリチュアル由来の体調不良に襲われてから、
自分はスピリチュアルな世界を完全に受け入れることができていなかったのだということに気づきました。
“スピリチュアル”という響きには、どこかマイナスなイメージがつきまといます。
“非現実的で科学的な根拠が示されていない”
“詐欺やオカルトまがいの商法として見られやすい”
“ふわふわしてて地に足がついていない”
などなど。
なので、スピリチュアルなことを言う人は、
ヘンな人
変わった人
自分とは違う人
だと、思ってきました。
なので、自分がスピリチュアルな世界に目覚めても、心のどこかで
ヘンな人
変わった人
自分とは違う人
と思われたくないという恐れがありました。
スピリチュアルなことを書くと、人から嫌われるとか、引かれるとか、そういった不安や恐れが根底にあったのです。
今までたくさんスピリチュアルな記事を書いてきて、スキをたくさんつけてきてもらったにもかかわらず、
私はスピリチュアルな世界や高次元に対して、一定の距離を置いていました。
これは、親の影響(ゴリゴリの理系で非科学的なことは一切信じない)や、これまで生まれ育った環境などが原因かと思われますが、
ここにきて、理屈や一般常識では説明できない現象に襲われ、意外なことに精神的にまいっていることに気づきました。
つまり、自分の中で、未だにスピリチュアルな世界に対して抵抗を感じていたんです。
風の時代に入り、本格的に地球のアセンションが進んでいると言われているなかで、
大半の人は、まだまだ地の時代の価値観を引きずっています。
かくいう私も、完全に捨てきれたわけではありません。
思考でコントロールする癖がなかなか抜けず、数字や他人の評価に自分の価値をゆだねてしまうこともあります。
物質的な価値観でしか物事を判断できず、そのために戻ってきて「違うでしょ」と修正することが多々あります。
スピリチュアルな世界に目覚めると、どうしても孤独を感じます。
“現実は自分が創っている”
“現実は思考の投影に過ぎない”
ということにたどり着くと、それまで当たり前だった世界がひどく薄っぺらく感じ、
周囲の人と話がかみ合わなくなったり、波長のズレから違和感や疎外感を抱きます。
しかし、スピリチュアルな世界に目覚めることの神髄は、真実を自分の中にのみ見出すということなのです。
○○のせいでうまくいかない
××がなければ幸せになれる
なのではなく、すべては自分の解釈しだいで現実はいかようにもなるということを、心の底から確信するということなのです。
現象だけでは、問題は発生しません。
私たちの苦しみや生きづらさがどこから生まれるかというと、その現象のとらえかたからきています。
私は今回、原因不明の体調不良に襲われ、スピリチュアルの世界を受け入れきれていなかったことを思い知らされました。
スピリチュアルなことを書くことで、嫌われたらどうしよう、引かれたらどうしようと、孤立することを恐れていました。
そしてそれは、まだ私の中に不必要な他人軸が残っているよという“お知らせ”だったのです。(お知らせという表現はあまり好きじゃありませんが…)
何事も必要のないことは起こりません。
すべての出来事は、自分らしく生きる上で必要な“癒し”や“手放し”のために起きます。
ここで大事なのは、どちらの自分も大事にするということです。
不安や恐れは不必要なものですが、大事なのは手放しをするプロセスであって、不安や恐れそのものを否定することではありません。
私たちは、この地球にありとあらゆる感情を経験し、味わうために生まれてきました。
ネガティブな感情さえも、貴重で尊いものなのです。
誰だって、孤立することは怖いです。
否定されれば傷つきます。
それが大事な人ならなおさら、深い悲しみに襲われてしまいます。
それでも、真実を自分の中に見出していくこと。
真実を他人にゆだねないこと。
これが、真に目覚めることなのだということに、私は今回の体調不良によって気づきました。
どうしても肉体とともにある身なので、今後も行ったり来たりすることがあるかと思いますが、
とりあえずこれからは、スピリチュアルな世界を受け入れきれない自分もまるごと大事にしていきたいと思います。
(今回の記事のもとになった、ハイヤーセルフとの会話)
※関連記事
サポートありがとうございます!とっても嬉しいです💕 頂いたサポートは、大切に使わせて頂きますね💐