個々の“生きづらさ”に社会がどうかかわるのか
ものすごい壮大なタイトルになってしまいました。
たいしたことは書いてませんが、ちょっとお付き合いいただければ幸いです。
私は今、社会福祉士の勉強をしているのですが、
“自分が住んでいる市町村の「地域福祉計画」の策定過程や背景について述べなさい。”
というレポート課題がありました。
地域福祉計画とは…
ざっくりいうと、
『市町村や都道府県として、地域福祉の分野で目標を作るよ!それにむかって一致団結してがんばってこ!みんなも協力よろしくね☆』
みたいなものかなと思っているのですが、(※ちなみに策定は努力義務で、令和3年4月時点で、策定済みの市町村は全体の約83%、都道府県は100%でした。)
さっそく自分の住んでいる市町村の地域福祉計画を調べ、いったんレポートを書き、何日後かに改めて読み返してみました。
すると、レポートを書き上げた時にはなかった、なんともいえない違和感が。
うん、なんだろう、このなんともいえない違和感は…。
気持ち悪い、非常に気持ち悪い違和感なのですが、知識不足からなのか、その違和感を的確に表現できないのです。
私の住んでいる市の地域福祉計画に書かれていたワードは…
バブル経済
景気の低迷の長期化
地域コミュニティの希薄化
ホームレス
孤立死
自殺
家庭内暴力・虐待
といったものでした。
もちろん、ホームレスや孤立死は重要で大切な問題です。
自殺も家庭内暴力・虐待も、だれにでも起こり得るものでとても深刻な問題です。
ただ、
“バブル経済崩壊後、景気が長期的に低迷する中で、地域コミュニティの希薄化などによりホームレスや孤立死、自殺や家庭内暴力・虐待などの問題も深刻化し…”
みたいな論調に、違和感を覚えるのです。
…え、社会って、もっと複雑じゃね?
そう思ってしまうのです。
問題を問題としてとらえるのは簡単ですが、その背景には複雑でさまざまな事情があり、十把一絡げに語れるものではありません。
元引きこもりとして、自死遺族として、何より今現在説明しようのない“生きづらさ”を抱える者として、
私の住む市の地域福祉計画に書かれたことが、全く心に響いてこないのです。コレジャナイ感がすごく強いのです。
自分の生きづらさの原因を、
“バブル経済が崩壊したから…”とか
“景気が長期的に低迷しているから…”とか
“地域のつながりが薄れているから…”とか
そんなふうに思えないのです。
おおまかな背景としては、もちろん存在しているかもしれません。
けれど、そうじゃないんです。
うまくいえないけれど、そうじゃない。
“バブル崩壊”とか“地域コミュニティの希薄化”とか、そんなん書いとけば社会を語っているように見えるよね、
みたいな感じで、うすっぺらいコメンテーターが話す内容みたいな、どっかで見たような言葉がならんだ文章にしか思えませんでした。
ということで、日本の中心都市である東京都23区の地域福祉計画はどうなんだろうと調べてみました。
すると、ざっくり調べていく中で、とても感動した地域福祉計画を発見しました。
ちょっと長いですが、引用します。
これよ、これ!!
なんともいえない爽快感があります。
表面上は孤立死や自殺にしかみえない問題も、その裏には
という背景があると思うのです。
今の時代、誰もが生きづらさを抱えるという視点を持つことが、地域福祉を考える上で前提となってくるのではないでしょうか。
…ブラボー。(拍手)千代田区、すごすぎます。
そんなんキレイごとじゃない?と思われるかもしれませんが、たとえキレイごとだとしても、掲げなくては始まらないと思うのです。
地域福祉は住民参加が必要不可欠というのは、他の地域福祉計画にも記載されていることから、その重要性がよくわかります。
(2022.5.21追記)
※2000年の社会福祉法の改正に、地域福祉の推進に努めなければならない主体として、「地域住民」「社会福祉を目的とする事業を経営する者」「社会福祉に関する活動を行う者」とあり、地域住民が明記されていました。
私の市の地域福祉計画には、この
“多少はあれども、誰もが一定の「生きづらさ」を抱えて生きている”
“地域住⺠や事業者、 ⾏政が協⼒し、支え合う”
という視点を見つけることが、できませんでした。
だから、何ともいえない違和感があったのです。
もちろん地域によるバラつきはあって当然だし、
私が住む市の職員の方々も一生懸命取り組まれているんだろうし、
何より私が社会復帰できたのは行政の支援があったからこそだし、
理想ばかりはいってられないとは思いますが、
私の市の地域福祉計画、もうちょっとなんとかならんかったんかい、と思ってしまいました。
けれど、あらためて、福祉ってなんだろうと考えるきっかけになりました。
個々の“生きづらさ”にどう社会が関わっていくのか。
結局、行政にも限界はあるわけで、
そうすると、一人一人が自分には何ができるのか考えていくことが、やっぱり大切になってくるんじゃないかなと思います。
はて、私にできることはなんだろうか。
ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました😊