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30代で看護師を目指したキッカケ

30歳を過ぎた頃、私は焼き肉チェーン店のウエイトレスをしていた。
子供が小学生だったので、働く時間は午前10時~午後3時までのパートだった。

チェーン店の焼肉店だったが炭火を使い、味もサービスも良かったので、平日のランチでも行列ができるほど、繫盛していた。

そんな繁盛店で毎日忙しく働いていた頃、突然日本で狂牛病の牛が発見され、ニュースなどで連日報道されていた。

狂牛病騒ぎでパート先の焼肉店も大打撃を受けて、徐々にお客さんが減っていき、ランチの時間でも1~2組程度になっていた。

そのうち、正社員は給料カット、パートの私は12時半にはあがることになった。

パート先がこんな状況になってしまったことを看護師をしていた義姉に話しをしていた。

当時義姉が勤務していたのが、脳外科の救急病院だった。
その義姉が看護助手として働かないかと誘ってくれた。
忙しくて大変だけど、資格なくても未経験でも働けるからと言われた。

私は、自分が医療現場で働くことを考えたこともなく、イメージもわかなかったので、その時は曖昧な返事をしていた。

しばらくすると、義姉から焼肉店の職場に電話があり、病院の院長から直々に来て欲しいと頼まれ、その電話で病院の看護助手として入職が決まった。

焼肉店の店長に話すと、
「いつかこんな日が来るとは思っていたけど、ここにいるよりも、病院で働くほうが絶対にいいよ。○○さんに合っている感じがする。
大変だろうけど、頑張って!」と気持ちよく退職もできた。


義姉が看護師として勤務していた病院だったので、医師をはじめ、そのほかの職員の方からも歓迎してもらい、看護助手として様々な仕事を教えてもらうことができた。

はじめて医療現場で働き感じたことは、患者さんや患者さんの家族から「ありがとう」と感謝されることだった。
私は仕事としてやるべきことをしているだけで、まして病気で辛い思いをしているご本人やその家族に感謝してもらえるなんて、なんてありがたい仕事なんだろうと思っていた。

そして、2年ほど看護助手の仕事した頃、もっと患者さんためにできる事を増やしたいという思いから、「ホームへルーパー2級」の講座を受けてみよう思った。(現在はこの資格は廃止になっている)

看護師長にその研修を受けたいと相談すると、
「○○ちゃんはまだ若いから、ヘルパーではなく看護師目指してよ。
そして看護師としてここで働いてほしい」と言われた。
私は、30歳過ぎてから看護師になれることを知らなかったので、その師長の言葉に驚いた。

調べてみると、働きながらでも看護師の資格取得ができることを知った。
師長に相談するまでは、自分が看護師になるなんて思いもよらなかったけど、できる事を知ったら何の迷いもなく突き進んだ覚えがある。

人生ってなにがキッカケで変わるのか、ほんと分からないものだ。


焼肉店の店長の後日談

私が看護師になってしばらくしてから、救急で1人の男性が運ばれてきました。
その男性は店長のお父様でした。

後から病院に店長が来て、私が看護師になっていたことを、驚きながらも、大変喜んでくれた。

狂牛病で大打撃を受けた焼き肉店はそのあと、潰れてしまい、店長も退職したと聞いた。

その後店長のお父様は手術が成功し、リハビリ病院へと転院する日、店長が何度もお礼をいいながら、父親の車いすを押しながら転院した。

数ヶ月後、店長と自力で歩いているお父様と挨拶に来てくれた。
そんな姿を見るのが、看護師として何よりも嬉しかった。

今となっては、いい思い出。














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