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スイングバイ! 第1路:Against All Gravity
僕を乗せた船は海の上を進み、風は力強く吹き続けている。
それにしても快晴だ。うみはひろいな。おおきいな。つきはしずむし、ひはのぼる。やってきました。よそのくに。と言う訳で僕は、ギリシャにあるエーゲ海の船上にいた。
時に、西暦2015年。創作の世界では、使徒《しと》が襲来してもシンジ君は逃げちゃダメだったし、マーティンとドクは歴史を修正する為にバック・トゥー・ザ・フューチャーPART2していたし、ぜんまいざむらい(Eテレアニメ)は善を広めるために、からくり大江戸で奮闘していた。まきまき。 そんな激動の年だった。でも、激動ぐあいで言ったら僕もいい勝負をしていた。
サラリーマンだった僕が仕事を辞めてバックパッカーになって、もう半年が経とうとしていた。中国から旅を始めて香港、マカオ、東南アジア、インド、ネパール、中東の国々を経由して、今ようやくヨーロッパにたどり着いた。
この半年間、色々なことがあった。最高だと叫びたい日もあったし、最低だと嘆きたい日もあった。
いつまでと言う期間も、どこまでと言う場所も決めていない気ままな旅だった。旅は思っていたよりもずっといいものであった。でも思ったよりもずっと大変なものでもあった。
「自由は山巓《さんてん》の空気に似ている弱い者には耐えられない」とは芥川龍之介の言葉だ。確かに。どこにでも行けること、なんでもやれること、それを自分で決められると言うことは、素晴らしさと同時に、不安を伴う息苦しさにも繋がっているようだった。
その息苦しさを払拭《ふっしょく》する方法は、チョロQのように、とくかく前へ前へと前進することだけだった。(例え一時的に下がることがあっても的な)
しかし、知らない場所を進むと言うことは、予期せぬトラブルに遭遇することでもあった。ここエーゲ海の上も例外ではないないらしい。出航してから数時間経過したが、待てど暮らせど船が次の目的地に到着しないのである。
思い返してみよう。前の日のことである。ギリシャのロードス島に来て3日。主だった観光地も周ったことだし、そろそろ移動しようかなと言う気持ちになってきた。ロードス島の港に到着した時に、近くにフェリー会社の小さな店舗があることは覚えていた。バスと徒歩でそのフェリー会社に向かってみた。
店の親父《おやじ》にロードス島からフェリーで移動できる場所と値段を尋ずねると、可愛いらしいイラストの地図を持って来てくれた。
首都アテネまで行ける便もあったが、もう少し地中海の島々を周ってみたかった。
「ロードス島から行けるいい感じの島はどこでしょうか?」と曖昧過ぎる質問をする僕。
「それならサントリーニ島だな。お前はサントリーニ島に行くことになる」と何故か終末を語る予言者みたいな重々しい口調で店の親父に断定されたのだ。
と言う訳で次の行き先として特に理由もなく、下調べもせずサントリーニ島を選んだ。「理由なき反抗」はジェームズ・ディーン主演の名作映画だが、僕の場合は、どちらかと言うと「理由なき渡航」であった。
目の前の地図を改めて見てみる。「なるほど。ここからロードス島まで高速船で40分ぐらいで移動できた。見た感じロードス島からサントリーニ島までの長さと同じくらいかな。40分ぐらいで到着するかな。行けるかな。」と良く確かめもせずに、誰に尋ねることもなく、思い込んでしまった。当然ながらイラストの地図の縮尺と実際の距離は違う場合もある。大好きだったあの漫画と実写化されたあの映画ぐらい違う場合もある。
いつまでたっても船がサントリーニ島に到着しないので、船員に尋ねたところ、いくつかの島を経由して、22時間後に到着することを教えてくれた。早々に到着すると思い込んでいた僕は、ほとんどお金を持ち合わせておらず、船内レストランに行くことさえ出来なかった。
しかし、所持金があっても、レストランに行けるかどうかは怪しいものだった。と言うのも、あれだけ穏やかだった海は荒れに荒れ、僕は経験したことのない船酔いに襲われていた。
僕が乗っていたフェリーは豪華客船とは言えないまでも、島々に物資を届ける為か、かなりの大きさであった。大きな船であれば、それほど酷《ひど》く揺れはしないだろうと言う根拠のない予想をしていた。
事前の予想に反して、船は面白いように揺れた。いや、ちっとも面白くない。テーブルの上に物を置けば床に落ちるし、油断をしたら船内でぐるぐる転がることになりそうだった。なんだか船のセットでコントをしている様な気分になってくる。まっすぐ歩くこともできず、酔っ払いのようだった。
本人にとっては切実な問題でも、はたから見たら滑稽《こっけい》だっただろう。「人生は近くで見ると悲劇だが、遠くから見れば喜劇だ」と言うチャップリンの言葉を思い出す。
そんな状態なので、これは寝てやり過ごすしかないと思い、1人がけ用の椅子を2つ繋げて、その上で横になっていた。
すると、船員が近づてきて、毅然とした態度で「NO!」「こんなところで横になっちゃダメだ」と注意をしてくる。
船内に個室のような場所は用意されておらず、30名程度の乗客は皆、大広間で過ごしていた。大広間には1人がけ用の椅子が所々で群になって設置されている。見渡してみると僕以外は、おとなしく椅子に座って過ごしているようだった。
船員が立ち去ったあとで、椅子がダメなら床で寝ればいいじゃないと言う、貧乏なマリー・アントアネットみたいな発想で、隅の方でこっそりと寝ていたが、戻ってきた船員にやはり起こされてしまった。
「なぜ横になっちゃいけないんだい?」と当然の疑問を口にしたが、それはマナーであり、ルールだからとピシャリと言われてしまったら、反論の余地はない。(そもそも反論するだけの英語の語彙力もない)
みんな疲れ切っていて、映画プライベート・ライアンのオマハ・ビーチのような散状にも関わらず、寝転がっている人はいないようだった。
そんなに頑なに我慢せずにみんなで横になれば良いのに。みんなが幸せになるためのルールやマナーがあるはずなのに、これじゃあ誰も幸せになれないんじゃないか?と疑問を呈したい。なんならフェリーの会社に、勢い余ってギリシャ政府に意見書でも提出したい。
到着は遅れ26時間後、夜遅くにようやく船がサントリーニ島に到着した。僕は、事前にその土地の文化や歴史について調べておく方が、体感の解像度が上がり、より深く旅を楽しめと思ってるタイプだったが、急遽訪れたサントリーニ島については何も調べられていなかった。クラス替え直後のような、期待と不安が入り混じった気持ちを覚える。いいクラスだったらいいなと期待するように、いい島だったらいいなと期待を寄せた。
深夜帯にも関わらず、船の到着に合わせてバスがまだ動いたので、それに乗って予約したゲストハウスに向うことができた。
地中海のお洒落な街並みを感じる一方、寂れたリゾート地特有の静けさも感じる。
バスが移動すればするほど、人の気配を感じない地域になり、代わりに自然が増えてきた。30分ほどして、ゲストハウスに1番近いバス停に着いた。そのバス停で降りたのは、僕1人だった。
タブレットにダウンロードしていた地図を頼りに、ゲストハウスを目指してみた。ほとんど街灯もない静かな夜の道を迷いながら進んで、ようやく辿り着けた。
しかし、安堵するのは早すぎたようだ。看板があるので、予約したゲストハウスであることに間違いはなさそうであったが、どこにも灯りがついておらず、敷地内をウロウロ歩いてみたが、人の気配を感じない。プールに水も張っておらず、オフシーズンなので人はいません。お帰りください感が凄かった。
しばらくすると、どこからかチワワみたいな2匹の小型犬が僕の足元まで走って来て、激しく吠え始めた。犬がいるならやはりゲストハウスは営業しているのだろうと思う一方、野犬の可能性も捨てきれなかった。
日本ではほとんどその存在を聞かない狂犬病も、国によっては根絶されていない場合もある。嚙まれて発病した際の死亡率は、ほぼ100%《パーセント》だ。
嚙まれたくない一心で僕は地団駄を踏んで威嚇する。そうすると犬たちは一時的に走り去るが、すぐに戻ってきて距離を詰めてくる。仮にこの子らが番犬であれば、侵入者に立ち向かう姿は感涙《かんるい》ものであり、飼い主ならば良い子、良い子と頭を撫《な》でながらご褒美にペリグリーチャムの1つでも贈呈したい気持ちに駆《か》られる。
ただ、僕としては不審者の濡れ衣をかけられて、闘う気力もおこらず、もう好きにしてくれ、後は野となれ山となれと言う心境になってきた。
そんなどうしようもない時に星空に気が付いた。見たことのないとんでもない満点の星空だった。星が綺麗に見えるのは、街の光がそれほどない離島と言うだけでなくて、心細い僕の心境も影響していたのだろう。夜の暗さが濃いほどに、心の不安が強いほどに星は輝くようだった。
ただただ圧倒されて、星空を見上げる。夜の闇があるから星が輝く。辛いことがあるから楽しいことを感じられる。無駄なことなんて何もない。そう考えると、人生丸ごと肯定されているようで、深い感謝の気持ちに包まれていくようだった。生きていること自体が1つの奇跡のように感じられた。そう感じられることにわくわくした。
そして、顔には笑顔が広がっていた。誰もいない深夜だったので、1人でニコニコしていても驚かれることも、気味悪るがられることもなかったが、誰もいないのは確かな問題だった。
困ったものである。飲まず、食わず、眠れず、ついでに犬達に吠えられ、ここまで来たのだ。このままでは最悪、僕も夜空を構成する星の1つになってしまうだろう。
ジタバタしても仕方がないので、僕はこの素晴らしい星々を形に残したいと思い、カメラを取り出した。予想はしていたけど、望遠レンズも着いていないカメラでは、ほとんど星の光を捉えることはできなかった。ほぼ床に溢《こぼ》したゴマである。「これな~んだ?」と質問したら、クイズダービーのはらたいらさんだって正解できないだろう。
カメラをいじっていたら、旅に出発した頃の画像が出てきた。なんとなく硬い表情が旅を通して少しづつ変化していくのが、僕の目から見ても分かった。
旅に出た時が25歳で、今は26歳になっていた。
今までの日本での生活に慣れ切っていた僕にとって、日常は意識しなくても存在している重力みたいなものだった。その重力に抗い、飛び出すには少しだけ勇気が必要だった。
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