日米半導体協定で妥協しなければ、日本半導体の凋落は防げた
全ては、日本政府が米国政府と日米半導体摩擦→安易な日米半導体協定を締結、「コトナカレ主義」の日本病が、日本半導体を凋落させた最大の原因でしょう。
今更、日本政府が冒した政策の過ちを取り戻そうとしても失われた時間と資源(企業売却と事業撤退、リストラされた関係者、技術、知財など)が余りにも大き過ぎます。
【筆者のアーキテクトのブログ(過去)で解説】
シリーズ2:日本半導体産業復活のソリューションと警鐘 ⑨
6月 17,2010
~引用~
筆者の2008年連載の半導体ウォッチ原稿と追加資料を加えて再度、検証しよう。
何故、隆盛を誇った電子立国の核であった日本半導体が凋落したのか?
現在の多くの日本の政治家は、日米半導体問題があったこそさえ知らない。
その真相は、この1枚の写真の中にある。
日本の凋落は、日米半導体協定が始まり
日本半導体メーカーの処方せんを解説する前にまず、日本半導体メーカーが凋落してしまった理由を明らかにする必要があるだろう。
凋落を招いた原因は、1つだけではない。
しかし、日本半導体産業界に最も大きなインパクトを与えたのは、1986年に締結された「日米半導体協定」だと断言できる。
この協定は、日本半導体メーカーの躍進に危機感を募らせた米国が、数々の政治的な圧力を日本に掛けた結果として結ばれた。
SIAは1985年6月に、日本半導体メーカーの半導体製品が、不当に安い価格で米国市場に輸入されているとし、通商法301条(スーパー301条)に基づきUSTRに提訴した。
提訴を受けて米通商代表部は1986年5月に「クロ」の仮裁定を下す。
これに慌てたのが通商産業省(現在の経済産業省)である。
貿易摩擦の激化を避けるべく、1986年7月に日米半導体協定に調印したのである。
(日本の大手半導体企業幹部と通産省幹部が協議して、苦肉の妥協策として決定されたものである)
下のグラフは(このデータは日本市場)、日米半導体協定以降、日本市場開放によって、海外製(ほぼ米国製)半導体シェアが急速に上がり、日本半導体企業のシェアが急速に低下していることが分かる。
2010年は、6割近く海外勢にシェアが予測される。
これが日本半導体企業の凋落の最大の原因である。(海外も当然、日本半導体企業がシェア低下している)
これで、米国のプレシャーによる日本産業政策の変更がいかに日本を弱体化させたか事実として読者の皆さんも理解して頂けただろう。
【筆者共著】
この書籍内でも日米半導体摩擦のプロセスから凋落原因を解説しています。