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呻き
彼岸花を目にすると今年もこの季節が来たかと思う。年々秋は短くなっていると感じられる中でもあの紅い花火が野に咲いているのを見ると様々思い返すが、今年は例年に無くその紅みが目に染みる様に思う。
50歳からの転職は甘くは無かった。
前職のままのんびりした環境で還暦やら定年やらを迎えるのも有りだったのだが何故かそうしたくない気持ちが優先した。そこに加えて父親が亡くなった時に非常に無責任に面倒な置き土産を残して逝ったせいもある。彼は病床に臥せっている家族に向かって「おい!俺の飯まだか!」と平然と言い放つ自己中な奴だったが最期の最期までそれは変わらなかった。ドラマや小説にある様な不仲の親子が死を目前にして和解する場面など結局訪れなかった。彼が亡くなっても涙を流す家族は誰もいなかった。友人や知り合いの家族が亡くなった時の方がよほど涙が出た。ある日実家に帰省すると父親の遺影は伏されて写真には(人間のクズ)と落書きがされていた。兄がやったものらしいが私以上に同居していたものにとっては耐え難く許しがたい人物だった様だ。犯人曰く「何か気取ったポーズで写ってやがるから腹が立った」そうだ。落書きだけじゃなくてカッターで斬り込みも付けておいたとわざわざ注釈してくれた。
(自分がされて嫌な事は人にもしない)みたいに道徳的に誰かからそれとなく教わった様に思うが実際はどうだろう。結構多くの人々が自分がされた事かそれ以上の事を他者で憂さ晴らしていないだろうか。ニュースを見ると国際規模でもそんな事が起きている様に思うのだ。人間は自らなるべく被害者になるたがる性がある。そう勿論自分もまた思い当たる節がある。しかし思い返すとやらなきゃ良かったと思う事ばかり。
最近キングクリムゾンの曲がやたらとツボにはまる。暗黒なのに最高潮に美しいエピタフが特に。
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今まで思い通りに動かしていた車のタイプが異なるといきなり言う事を聞かなくなる。龍に乗るのは本当に一筋縄では行かなかった。慣れない操作や器具の重さに瞬時にして滝の様な汗が出る。雨の中容赦なく自身に降り注ぐ怒号。ウクライナやガザには勿論遠く及ぶ筈も無く比較の対象にすらならないが、それはそれで私には等身大の地獄だった。今日も師匠(支障と当て字を付けたい)は私を怒鳴る。もう怒鳴られ過ぎて慣れても来たが、そうなると今彼が一時的な気分のみでイチャモン付けているなって時も分かる。センチ単位でズレを指摘していたのがミリ単位になって来た感じだ。本人は思いやりのつもりだろうが微量なそれはもはや嫌がらせの領域に感じる。上司の前だといきなり控えめになって態度が変わるのも普段の態度と一貫していない。小学生の頃に大嫌いな担任が家庭訪問の時だけ母親の前で態度を変えるのに似ているなと何故かそんな事を思い出した。実際私はまだまだ仕事では未熟で出来ない事も多くまだ彼を頼りにしなくてはならないのがもどかしい。随所に思いやりは感じるのだが時々限界も感じる。
「俺なんかもうケチョンケチョンに言われたよ」
うん。
だったら貴方は言わなきゃ良いのにね。私もこの溜まったマグマを誰かにぶつけて憂さ晴らししない様に気を付けねばならない。敵の最高幹部を消した所で争いの種は消えないならむしろ消さない方良い。
試練の日々はあとどのくらい続くのだろう。7割は超えつつある気もしているが明かりが見えない日々はやはり辛い。久しぶりに喫茶店に入ってモーニングセットを前にモーニングページを書くつもりだったが気がつくとダークサイドに落ちていた。
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