エンゼルフィッシュ 中年の恋の化石④
空耳だろうか。
何かそんな声がした気がしたのだが。釣り糸は何の変哲も無く水面に揺れている。振り返ると顧客が数人ワイワイと喋りながら何かのやり取りをしている。その内彼らはどこかへ行ってしまった。
「アナタノ ココロノ イロハ ナニイロ?」
それは明らかに水面から聴こえて来る。さっきよりも大きく分かり易い発声で。
驚いたな。君は私達の言葉が喋れるのか。こんなにはっきりと。
「コレデモ ドリョク シテイル。ワタシハ カタカナシカ シャベレナイ。」
充分だよ。ところでさっきの質問の意味は何?
「ワタシハ アナタニ タダ ソレヲ キク。アナタノ ココロノ イロハ ナニイロ?」
蒼だ。雲一つ無い空みたいな蒼。または道路標識に使われてるパネルみたいな蒼色。手は尽くした。悔いは無い。もうどちらに転んでも構わない。そんな気持ちだから。
「ワタシハ シンカイカラ キタ バチガイナ オサカナ。アナタヲミテイタ。」
シンカイ…? 深海の事か。随分と場違いな所に来たもんだね。それはどうして?
「ワタシハ タマニ タイヨウガ ミタクナル。 ヒロク セカイヲ シルノハ ヨイコトダ。オリニ トジコメル ノハ タイテイ ジブンカラダカラ。」
「ソレニ ワタシ ニンゲント ハナサナイト タイクツナノ。」
その答に私は思わず大笑いしてしまう。
君は変わってるな。そんな事を言う魚は初めてだ。でも深海って過度な水圧で殆ど誰も住めない暗闇の世界なんだろう?
「アナタガ オモッテイルホド シンカイハ ワルイトコロデハナイ。ヒカリノオオキサデ ヨシアシヤ ゼンアクハ キマラナイ。ソコハ セイジャクト ビセイブツガ チョウノヨウニ トビカウ ニジノセカイ。」
今まで誰も教えてはくれなかった。君の名前は?
「ワタシノ ナマエハ リュウグウノツカイ。アナタハ?」
数ヶ月後のある日私はあっさりと振られた。出会い系は私にとって、深海の様に過酷な場所と悟ったおかげか、あれ以来マッチングアプリには登録していない。
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