虐待を受けて育った人間の人生ハードすぎな件
「虐待を受けて育っても、成功した人なんていくらでもいる」
「自分の人生が上手くいっていない理由を、人のせいにしても何も始まらない」
「毒親とか親ガチャとか、そんなことを言う人間は親不孝者だ」
ネットやSNSでは、こうした言葉がよく飛び交っています。
確かに、これらの主張には一理あります。どんなに辛い過去があっても、それに負けずに成功した人はたくさんいるし、前を向くことの大切さも否定できません。
でも、その一方でこうも感じるんです。
「本当にそんなに簡単に割り切れるものだろうか?」
虐待を受けた経験が与えるもの
虐待を受けて育った人間にとって、過去は単なる「思い出」ではありません。
それは、心に深く刻み込まれた「傷」であり、「呪い」に近いものです。
かくいう僕も、幼少期から父親や父方の祖父母に暴力や暴言を浴びせられる毎日を過ごしました。
きっかけは、僕が小学校一年生の時に発症したペルテス病という脚の病気になってしまったことでした。
ペルテス病とは、股関節の骨が壊死してしまい、激しい痛みと足を引きずるような歩き方になってしまうという病気です。
おそらく、ほとんどの人間が馴染みのない、珍しい病気だと思います。
運動制限や松葉杖の使用を課されて、子供から自由を奪う、とても辛い病気です。
しかし、そんな病状よりも、さらに辛い日々を当時の僕は過ごしていました。
僕の病気を理解できなかった父親と祖父母に、
「なんでまともに歩けないんだ!」
と怒鳴られ、暴力を受ける日々を過ごしていたのです。
僕がびっこを引くように歩いている所を見かけると、父親に頭を殴られて、
「意識すれば、まともに歩けるようになる」と言われました。
僕の家の隣に住んでいた祖父母には、
「人間手足がなくなったり、歩けなくなったら、人生終わりだよ」
などの、まさにその瞬間に足の悪い僕を貶すような発言を毎日聞かされました。
その後、足の病気以外でも様々な虐待を受け、とうとう耐えきれなくなった僕は、高校卒業と同時に、母と家を飛び出しました。
しかし、父親からは逃げられたものの、僕は引きこもりになり、重度のうつ病と、過食により体重120キロの肥満体になってしまいました。
虐待は「受けている」よりも「後遺症」の方が辛い
おそらく、虐待を受けていない人々にとっては、虐待とは、暴力や暴言を受けている時が辛く、そこから解放されれば、その人は救われると考えていると思います。
でも、虐待を受けて育った人間にとっての本当の困難とは、むしろ、虐待を受けた後、その後遺症をどう乗り越えるかなのです。
僕は引きこもりになってから社会に戻るまでに、とても長い時間がかかりました。
人と話すのが怖かった
引きこもっていた時の僕は一人で牛丼屋に入ることすらできませんでした。
人と話す事が怖い、僕が何かして相手を怒らせてしまったらどうしようと考えてしまうと、恐怖で人と会うことができなくなってしまいました。
ストレスで過食を繰り返す
毎晩、父に怒鳴られる悪夢を見る。目覚めると動悸が止まらなくなり、唯一それを止める事ができるのが、口に食べ物を放り込むことでした。
周りは就職や大学生活を楽しんでいるのに、自分はただ部屋に引きこもって時間を浪費している現状に不安が抑えきれずに、お菓子を頬張りました。
毎日のように太っていく自分の体が情けなくて、悔しくて、体が熱を帯びるようでした。それを止めるために、ラーメンをすすりました。
お腹がはち切れそうなくらい満腹なのに、体から吹き出す不安や不満、絶望を抑えるために、食べ物をただ口に詰め込みました。
眠れない日々
眠れない日々を過ごしました。
眠ったら、また父親の悪夢を見るかもしれない。
たとえ、悪夢を見なかったとしても、朝目覚めたら、また辛い日常が始まると考えると、怖くて怖くて眠れませんでした。
虐待の後遺症を治すとは
現在の僕
現在、僕は3年間の引きこもりを脱して、大学3年生をやっています。
120キロあった体重は75キロまで減量できました。
大人恐怖症もなんとか克服して、大学では数人の友達を作ることに成功しました。
しかし、ここまで回復するには、相当の努力と苦悩がありました。
不眠症の中受験勉強することも、トラウマを抑えるための過食を我慢してダイエットすることも、対人恐怖症を治すことも、全て辛かったし、失敗と立ち直りの繰り返しでした。
虐待を受けて育った人間の人生ハードすぎな件
さて、だらだらと僕の人生を語ってきましたが、そろそろタイトル回収しようと思います。
僕の結論は、虐待を受けた人が「普通の人生」を歩むこと、ましてや成功することは、不可能ではないものの、ハードルが高すぎるということです。
虐待サバイバーの人生がハードな理由
虐待を受けた人の人生が「ハード」な理由は、後遺症の回復に多くの人生のリソースを使わざるを得ないからです。
虐待を受けていない人は、「将来のため」や「今、楽しいことをするため」に、自分の時間やお金を自由に使えます。
(もちろん子育てや親の介護など、自分以外のためのお金や時間を使っていらっしゃる方も多いと思います)
しかし、虐待を受けた人は、後遺症の治療に多くの時間やお金を費やさざるを得ません。
ふとした拍子に昔のトラウマを思い出した日は、体調を崩して一日中動けなくなることもよくあります。
僕のように、精神的な問題が原因で肥満になった場合は、通常の肥満よりもダイエットが困難です。
また、精神的に追い詰められるとIQが低下し、本来の能力を十分に発揮できなくなるため、勉強や仕事でも他の人より不利になることが多いです。
このように、虐待サバイバーは、虐待の後遺症の処理のために、人生のリソースを大量に割かなくてはいけません。
こうした理由から、虐待を受けた人の人生は、他の人よりも困難であると言えるでしょう。
虐待を受けて育っても成功した人がいるのは、後遺症の克服にリソースを費やしながらも、残されたリソースをうまく活用し、人生の成功に向けて行動できたからだと思います。
つまり、理論上は虐待を受けても成功できる可能性はあります。しかし、現実には、後遺症の克服に人生のリソースを使い果たしてしまい、「将来のため」や「今を楽しむため」に生きられない人が大半なのです。。
結論
人生は、生まれ育った環境によって大きく左右されるものだと思います。しかし、貧困家庭から起業し、大成功を収めた経営者の話を聞くと、「環境は関係ないのかもしれない」と感じてしまうこともあります。
けれど、それは大きな誤解です。重要なのは 「後遺症の有無」 です。
虐待やいじめを経験し、現在もその後遺症に苦しんでいる人がいるなら、覚えておいてほしいことがあります。
「あなたの人生が思うようにいかないのは、決してあなた自身が劣っているからではない」ということです。
あなたの人生のリソース——時間、労力、感情の多くが、後遺症の克服に費やされているために、他のことに使えていないだけの可能性があるのです。
人生を取り戻すには、これからも多くの時間、労力、そしてお金が必要になるかもしれません。それでも、焦らず、少しずつ前に進んでいきましょう。
あなたがあなたの人生を取り戻すその日まで。お互い、頑張っていきましょう。