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うるま市のホームスクール「にじ子屋」へ訪問しました♪

 初めての、「にじ子屋」さんへ。

 ototoart はいつも、楽器をその空間に並べるところからスタートします。その空間をどう使うのか、空間そのものが音楽を生むための"場"、まあ楽器、という言い方も出来るかもしれませんが、そのように捉えて、どんな風に並べるか、我々がどんな配置で存在するか、なども考えます。

普段のOtotoart 音楽教室の様子

 大概子どもたちは、並べている段階から楽器たちに興味を示し、触れ始めます。はい、もう始まってます。"何かの曲を" 演奏するから始まる、というのではない、"音の発生" を大事にしています。音楽の芽は至るところ芽吹くもの。どんどん触ってどんどん触って。そんな中で我々も、子どもたちが興味を持って触れる、楽器との、音との"出逢い" を果たす瞬間のどこかぎこちなく、けれども新鮮な音たちの間を縫うように、楽器のチューニングを始めます。

 それで思い出したのが、明治時代だったか江戸末期だったかに、日本人が外国船に乗って"西洋音楽" を初めて聴いた時の話。

 彼らが"うーむ、これはいい!!" と言ったのが、外国船専属のオーケストラが奏でる"楽曲" ではなく、"演奏前のチューニング" だった、という話。なんだか分かる気がします。日本人が持っているその感性って、僕はototoartにも通ずる気がしています。

 先程、子どもたちがさまざまな楽器に初めて触れる時の音を"ぎこちない" と表現しましたが、何もけなしているつもりは毛頭ございません。かと言って褒めているわけでもないのですが。笑 

そもそも音楽とは、"褒める/けなす" の外にあるものです。その時の"在りよう" が"そのまま" 出ただけ、という話です。そして、"そのまま" が尊いと思っています。瞬間瞬間が全てです。瞬間に完結しています。完結した瞬間が明滅を繰り返して、音楽は一つの"流れ" を成すものなのです。
 
そのようにして始まった、にじ子屋さんでのototoart。挨拶がわりに我々も演奏しました。その中でも、子らに、スタッフの方々に、その瞬間の音を出して、入ってもらいました。

初めまして、Ototoartです♪

面白かった瞬間その一。

 にじ子屋さんでは、ウクレレを子どもたち学んでいるらしく、中でもウクレレが達者な女の子が二人、ウクレレを持って我々の前に陣取り、演奏を聴いてくれました。同じ音楽でも、我々は"コード" や"メロディ" になる"前" の、たとえは相当悪いですが、"すかしっぺ" のような、"あ、出ちゃった" みたいな音が欲しいわけです。意図の範囲内にあるだけのことをやることだけが、音楽の全てではないという思いがあります。偶然性を持っているからこそ、その人が出す音が掛け替えのないものになるのです。楽器を奏でる人が世界中に溢れるほど居ますが、今、あなたが、世界に一人しか居ない、あなたが、奏でる音楽ですから、今この瞬間にしか生まれ得ないバイブレーションを、恥ずかしがらずに掬い取ってあげてほしいという思いがあるのです。

「あなただけの音」を奏でてみよう

 なので、しきりに"自分が知っている" コードをウクレレで弾く少女が居ましたから、少し、僕なりに挑発してみました。笑 僕がギターを弾きながら歌っている最中、口でリズムを鳴らしながら、彼女の前へ行き、"これやってみ!" と言わんばかりに、僕はギターの演奏を示しました。何も、難しいコードや、フレーズを示したわけではありません。ギターの弦を軽く抑えたまま、リズムを掻き鳴らすような弾き方です。そのリズムを、というよりは、そのバイブレーションを、真似してほしかったのです。最初は戸惑っていた彼女でしたが、見よう見まねでやってくれました!楽しくなってきましたよー!彼女にとっては、"新しい" 音楽との向き合い方だったかもしれませんが、こんな音楽との出逢い方もあるよ、と伝えたかったのです。僕が大事にしていたのは、"コード" や"メロディ" 以前、"音楽そのものに入り込む" ということです。"入り込む" ことなら、"それぞれのやり方で"  "今この瞬間から" できると思っています。

彼は音楽制作の物語の中で「森の神様」を務めてくれました!

 このような感じで始まった、初にじ子屋ototoart 。挨拶がわりの演奏が終わったら、しばらく、それぞれに音を出して、探して、発見して、遊んでもらいました。

 その中で、"発見" のプロセスを垣間見れるような、子どもたちの"面白い" アプローチがちらほら浮かび上がって来たので、そんな音たちを拾いながらの"音楽創り" を後半はやりました。

 先ずは、剽軽な少年が、断末魔の叫びのような鶏の楽器の音を調子よく鳴らしていたので、"君、行こう!" と彼の音を録音しました。お次は別の少年。彼は、五箇山の民族楽器"ササラ" を鳴らしてみたりしていたので、"虫の音だ!虫をやって!はい、虫!" とリクエストし、マイクにササラ虫の音を吹き込んでもらいました。"ササラを演奏してください" と言われたら、"え?!どうやって?" と戸惑うでしょうが、"虫をやって" なら抵抗なく出来ますよね。こういう"イメージ言語" をとても大事にしています。誰もが持っている感覚からまずは音楽に入ってゆく、ということ。

五箇山の民族楽器「ササラ」

 生け贄の断末魔の叫びに夜鳴き虫、とくればいよいよ森の様相を呈して来ました。みんなに、"森の音を作ろう" と呼びかけました。森は、イメージ言語を使いやすいテーマでもありますし。誰かが鳴らしたハンドベルの音が良かったので、みんなにハンドベルを持ってもらい、部屋中に散らばってもらいました。あちこちから聞こえる森の妖精の囁きです。ランダムに鳴らしてもらいます。時折僕の指揮も混ぜながら、交互に会話するように鳴らしてもらったり、小さな波から大きな波を作ったり。指揮と言ってもそれはただ踊っているだけのような感じです。"運動" を読むことは出来ます。"運動" は感染します。僕の身体から生まれる"運動" が、みんなの音になります。それぞれのからだの"在りよう" が音となって生まれます。そんな、音楽が"生まれる瞬間" から作っていきたいといつも思っています。
 そのあとは、それぞれの子どもにスポットを当てて、録音を重ねました。

ハンドベルの音色が「森の妖精の囁き」のようでした。


皆「自分が奏でた音」に興味津々で 録音機材に集まってきました!

面白かった瞬間そのニ。

 最初はあまり積極的には前に出て来なかったものの、リコーダーを使って"自分なりに" 音を出して遊んでいる少年が居ました。僕は彼に目をつけました。なんだか、アジアのどこかの、市場とかで流れてそうな呼び子の笛の音のように聞こえたのです。リコーダーの穴を指一本で押さえたり離したりしながら吹くその音が。

 面白かったので、"一緒に録音しよう!" というと、マイクの前まで来てくれました。僕はウクレレをテキトーなコードで、イメージは"シルクロード" な感じで弾きました。せーのの合図で二人で演奏しました。彼は何も言わなくても、僕がつける抑揚を自然に感じながら、彼の奏法でリコーダーを吹いてくれました。どうやら学校の音楽の先生に怒られた奏法らしいです。学校では、めいっぱい怒られといたらいいです。僕は、"怒られるような" 奏法をやらせます。自分の中で、"比較" が出来るのもまたいいですよね。

インディオの笛みたいで、かっこよかったよ!

 先程のウクレレの子と、リコーダー怒られ奏法の彼には、シンセサイザーも弾いてもらいました。弾く、と言っても楽譜があるわけではありません。共有するイメージがただあるだけです。録音を重ねた音を流します。それをよーく聞きながら、音を入れてみて、というリクエストだけはしました。

 さて、こんな感じで進んだ世にも奇妙な音楽創りの時間は佳境を迎えました。最後は、数人で"声" を入れました。これも、なかなかに面白かったです!やっぱり、楽譜もないし、音階の指定はありません。一つ出したリクエストは、"日本語禁止令"。日本語を使わずに話すとなると、意味を超えた不揃いな音声が出て来ます。不揃いな声が重なる。ただただ、"声で遊ぶ" 。森に棲む、先住民?のようなイメージになりました。

 最後は、部屋の灯りを消して、完成した音楽をみんなで聴いてみました。いわゆる、"楽曲" とは違った、"音の風景" 。こんなのも音楽なの?!と感じた子も居たかもしれませんが、自分たちが出した音を客観的に聞く、ということを面白がって、真剣に聴き入っている子たちの姿も印象的でした!

音に怖がることもなく 色々な楽器に積極的に触れてくれた1歳のお子様も^^

 いつもとはまた違った音楽をちょっぴり体験してもらえたかな?
 

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