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人間って何だろう3 食べるということ
人間にとって「食べる」ことの意味は?問われると、ほとんどの人は「体を維持するために食べる」と答えると思う。
大昔や、紛争などで極度に厳しい環境で暮らす人々であれば、この答えが当てはまると思うけど、現代の日本やアメリカなどの先進諸国では、ほとんどの場合は「食欲を満たすために食べる」という表現のほうが合っているのではないだろうか。
小腹が減ったとか、甘いものはベツバラ(別腹)とか、「おいしそう!たべたい!!」ということで食べている。
食べ物はいつもすぐそばにあり、何時でも食べることが出来る。
食事の時間が来たから食べる場合でも、あまり空腹感を感じていないのに食べることもある。
まあ、それぐらい豊かになったという事でありがたい事ではあるが。
3年ほど前に、静岡県浜松市にある龍雲寺の「やさしい断食」という断食?を体験してみた。3つのコースがあって、①がっつり7日間、②効果がみえるか?4日間、③あくまでおためしの3日間 である。
自分は最も短期間のコース③を体験してみた。
驚いたことに、とにかく設備とか環境とかはリゾートホテル並みのレベルで、汚いとか不便といったことが全くなく、本当に修行になるのかな?と思ってしまうぐらいすごい。
ホテルと違うのはテレビや、ジュース・お酒などの自動販売機が無いぐらいだと思う。※詳しくは検索してみてほしい。
断食といっても一日1回、とても贅沢な精進料理が頂ける。だからやさしい断食(断食じゃない!とは言わないでね)なのである。
しかし、そんなやさしい断食であっても、飽食の生活をしているため、体はびっくり、心は食べたい欲求がふつふつと沸いてくるのを体験できる。
たった2泊3日だったけど、日常の「食べる」という事が、いかに過剰になっていたかに気づかされた。そんなに食べなくても良かったのだ。
子供の頃は親から「たくさん食べなさい、大きくなれないよ」と言われ育ち、社会人となってからは、仕事で外食、飲酒が普通になり、かなり乱れた食生活になっていた。いつのまにか騙されていたのである。
もっと削いでいいのだ、そうすべきだと感じたわけで、この体験以降、自宅での晩酌は(徐々に)止め、ご飯の量も減らし、カップラーメンなどの体に悪いものからも卒業した。すると体に良くない超加工食品などの味に敏感になってきて、それまでのように美味しいと思えなくなってきたのである。
徐々に体調も良くなり、お金の節約にもなった。
このような地道な修正をして、食べるという事に関する変な思い込みが少しづつ削られてきたのである。
と、ここまでは過去の話で、今回NOTEして気づいたことは、書くと簡単だけど、そんなにきれいさっぱりと過食や良くないものを断てたわけではないよな、という事である。
徐々にそうなっていったけど、こころの状態によって、波があったのだ。
こころの状態が良いと進むが、そうでないときは知らずに過食気味となり、お酒もたまにはいいかな。。。などと思ってしまっていたっけ。
食欲も欲の一種であるから、こころの状態に影響を受けるわけだ!
では、こころの状態が良いとはどういう状態のことだろう???
色々書き出してみたが、しっくりきたのが、『上機嫌でいること』かな。
心が満タンだと過剰に飲み食いしなくてもいい自分でいられるということだ。