文章を書く才能?
僕がこのNoteをやるにあたり、一つだけ決めている事があります。
それは「画像サムネイルを呼び込みに使用しない」
この1点のみです。
ついでに自分の「脳みそで考えている事の処理とアウトプット」の能力向上にこの乱文乱タイプを繰り広げているのである。
なんでそんな事すんの?
1.挿絵や挿入写真とはイメージを完成形に近い物に促すものであり、
必ずしも必要とは限らないと思う。
2.単純な僕のオナニーであり、ここは俺のメモ紙だからである。
3.煙草を吸いながら日々の思考をアウトプットしていく事もこの年齢に差し掛かると必要であると考えた。
*理由としては過去の己のやらかした行為のせいで短期記憶障害であったり一部学生時代や社会人時代の記憶が欠如しているのでそれのトラウマの克服の一環という面もあるのかなと自分でとらえている。
文章を書くって事に対しての才能はあると言われる。
ただ、「N大学文学部の」「文学少年の」とかではなく
普通の「あまり活字を積極的に読むタイプではない」
凄く偏見ドストレートでまっすぐ投げますが
「Twitter」や「Youtube」等が好きな人に対して僕の文章は刺さる傾向にあります。
年代としては10~50歳と幅は広く、その幅の広さの理由としては自信がいわゆる「オタク」であり己の知識欲だけで気になった事件や物、政治経済や宇宙に関して興味があれば深く深く探求してしまう癖がある。
*これに関しては現在も治療中の精神病を含めてADHDやASDなんかの診断も出るのかなあと思うが、現段階で障碍者手帳を取得する事や新たな投薬やカウンセリングが必要なのかは解らないので次回聞いてみる事にします。
評価された文章たち
1.友人の卒業文集の代筆
正直これが一番面白かった。ある有名人の本のタイトルを多少変更し引用。少し毛色的に政治色が混じるタイトルでもあるから怒られるかなとも思いつつタイトルやすべてに「その本」のタイトルがちょうどよいと言う事になり採用。
何文字程度だったかは忘れてしまったが、彼のこれまでの半生いや人生を聞き出した範囲ですべて文字に起こし、多少時系列を入れ替えたり等しながら文字数に収めた記憶がある。
その卒業文集、何と評価が高く教職一同等から褒められてしまう事となり
僕の友人は「お前にそんな才能があるとはな」と褒められとても気まずい空気だったそうだ。
2.会議議事録のまとめ作業等が得意
小学生の頃からPCに触れてきた自分としては思考する速度とほぼイコールの速度でも文字をタイピングする事が可能である為聞きながらそれを文字起こししつつ、多少の修正をいれる程度の事は可能である。
これはPCをメインで使用する職種であれば基本的に褒められる。
これ理由は簡単で、「ハタから見るとめっちゃPC使えそう」なのである。
3.はてな匿名ダイアリー(通称増田)
実は現役の増田でもある。何を書いている、書く、書いた。と言うのはここでは一切触れる事は無いがあなたも読者であればこの文体で多少気づくことは出来るのではないでしょうか。
それなりの注目度やコメントを集め月間アーカイブには載せて頂けました。
そして僕が考える文章の才能って何なのさ?
まずは文字を書いたりタイピングする能力であると考える。
小学生の頃に当たり前に通過する道ではあるはずだが
さて、あなたは「憂鬱」と言う漢字を何も知らべず誰にも読める文字として書くことが可能であるか。
一昔前であればこの段階で躓く者も多かった
だが現代では技術の進歩でPCでのタイピングやスマートフォンのフリック操作等、慣れれば人間の会話と変わらぬ速度でコミュニケーションが取れてしまうほどのツールになった。
それ即ち「誰でもどこでも何でも書ける」のである。
それがTwitterでありNoteや増田、そしてInstagramやFacebook等である。
その世代の読者に「僕がウケた」だけなのである。
才能かどうかより本を読まなくなってきた我々世代より若者に向けて発信する場合に
難しく丁寧に書くよりもふんわりとざっくり短い文字数で伝える事が
「文章を読ませる能力」なのだと思う。
即ち、文章の才能と考える。
それで、この記事のしめくくりに。
ここまで読んでくれてありがとうございます。
つまりは読んでスキを押して頂ける程度の文章は書けている筈ですね。
と、言う事で己の輝かしい文才(ただのタイピング能力)をここで締めくくろうと思う。
今日は暑かったなァ。