認知症の姑の介護体験で感じてきたこと⑩
車椅子生活になった母の介護は、その要領もよくわからないまま始まった。
訪ねてくださるケアマネージャーさんやデイサービスの方に、オムツの交換の仕方、起きあがらせ方、床ずれ防止のための体位変換の事など、負担を軽くするコツなどを尋ねながら、一つ一つ手探りでやっていった。
知り合いで、親の介護のために、自分から勉強してホームヘルパーの資格を取ったという方がいた。
そこまでされることに、感心していたが、実は介護の知識があるとないとでは、介護にかかる心身の負担も違ってくるのだなと、改めて思った。
里帰り出産をした娘の赤ん坊は、日中は一階のリビングのベビーベッドに寝かせていた。
姑が時々イライラして物を投げたりするので、襖を半分閉めて、姑から赤ん坊が見えないようにしていた。
その頃の姑は、正気で機嫌のいい日と、どこか悪夢の中にいるような険しい怖い顔をして不機嫌な日とが交互でやってくるような状態だった。
毎朝オムツ交換のために、姑に声をかけるが、「一体今日の母の機嫌はどうなのだろう」と思うだけで、朝から怖くて、私の心臓の鼓動は早くなった。
機嫌の悪い日は、言うことを聞いてくれなくてオムツ交換も一苦労だ。
ある日、朝姑を起こすと割と機嫌良く、穏やかな顔で「おはよう」との返事が返ってきた。良かったと思いながら、オムツ交換をして、お茶を飲んでもらった。
その後起きてきた娘に「今日はおばあちゃん、機嫌いい日みたいだよ」と告げた。
それならと、娘は朝食後、姑に声をかけて、車椅子に座った姑に、ひ孫である赤ん坊を抱っこしてもらって、写真を撮った。
初産で初めての子育てで不安もある中、私が気遣ってやらなければならないのに、それ以上に、姑の介護をする私のことを気遣ってくれていた。
そんな娘を不憫に思いながら、でもこれも良い機会で、老いていくということ、介護のこと、私のもがく姿も見てくれたらいいと思った。
その日の午後、食後姑は昼寝をしていた。
姑が眠る隣のリビングで、用事をしていた私の耳に、眠っていると思った姑の歌声が聞こえてきた。
子守唄だった。
そして、その後、寝言のように「可愛がってや、大事にしてや」と、子どものように何回も繰り返し呟いていた。
子どもに還っていっているような姑が吐く言葉を聞きながら、私はハッとした。
姑の生い立ちに思いが及んだ。
姑は、生まれてすぐに母親が産後の肥立ちが悪くて、死に別れている。
母親の顔も知らずに育ち、継母は優しい人だったと言うが、祖父母に育てられ、父親に対しては、何かとても深い恨み心があったようだ。
腹違いの弟が二人いたそうだが、継母が産んだ赤ん坊を、皆んなが可愛がる様子を、当時のまだ幼い姑はどんな思いで見たのだろう。
娘が産んだ赤ん坊を、皆んなが可愛がる様子に、自分の事も見て構って欲しいという、当時の切ない気持ちが甦ったのかと思えてきた。
それで物を投げたくなったのか。
何故か私は涙が止まらなくなった。
そして思った。腹を決めた。
「私は到底、実の娘のような気持ちにはなれないが、母の愛を知らないこの人のお母さんになろう!」
自分で言うのも何だが、その日から私は変われた。
今まで姑の「認知症」という病気とは向き合ってきたが、姑の心とは向き合ってこなかった自分が見えた。
そう思うと、何故か姑にかける言葉が優しくなった。
耳の遠い姑と話すのに、大きな声を出すのが面倒だと思っていたが、しっかり姑の目を見て話すようにすると、すぐに話が通じるようになった。
そうか、こういう事なのか、と何年もかかって、私はやっとその時初めてわかった。
それからは、つきものが落ちたように、不思議なほどに姑の介護はやりやすくなった。
姑は毎日穏やかな顔を見せてくれるようになっていき、私のいうことをよく聞いてくれるようになった。
「〇〇ちゃん、〇〇ちゃん」と姑が何度も私を呼ぶ声に、以前のような耳を塞ぎたくなるような気持ちはどこかにいっていた。
やっとそんな日々が来たところで、姑の介護施設への入所が決まった。
姑と過ごした日々が、葛藤だけで終わらず、何とか間に合った、姑の心に近づくことができたと思えたのは、私の自己満足かもしれないが、私にとっては救いになった。
姑は、その身を犠牲にして、本当に多くのことを私に教えてくれた。今はそう思える。
そして、どれ程多くの方が私と姑を支えてくださったのか、介護福祉に携わってくれた方々、私の友人たち、家族、姑に関わってくださった全ての方に感謝しかない。
受けた恩は忘れない。
どこかで私も違う形でも、社会に、周りの方々に恩返しをしていきたい。
介護は決して綺麗事ではないが、人間の表面に見える光の部分も見えない奥底にある影も、全てを炙り出して、人を成長させるものだと思えた。
姑が、私を拒否せず、介護をさせてくれたのは、愛情だったのかもしれない。介護を受ける人の覚悟は、介護する側の何倍ものものだと、今になって思えてくる。
このシリーズの最後には、やっぱり姑への感謝の言葉で終わりたい。
お母さん、ありがとね🙇♀️🙏❤️