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自然な人間的な温かな言葉掛けは、自分自身をも仕合わせにする

自分の幸せのために、目の前の人に対して、「自然な人間的な」温かな言葉掛けをしたい。そんな私になりたいと思う。「そんなことは理想でしかない」と諦めたくない。

ささやかな日常の中で、相手を常に笑顔にできるようにしたいと思うし、相手の笑顔で自分も笑顔になれると思う場面は多々ある。

我が家の娘は(といってももう34歳で二児の母だが)とにかくよく喋るしよく笑う。お笑いが大好きで、小学生の頃から、『笑点』や『吉本新喜劇』も大好きだった。

学校から「ただいマンゴー🥭❗️」と言って帰ってくるので、私はいつも「おかえりんごー🍎❗️」と返して二人で笑い合う。娘は「お母さん、ノッてくれるし、嬉しい😄」と喜んでいた。

朝も、起きて2階から降りてくると、大きな手を広げて「お母さん、おはよう❗️」とハグをしに来る。

帰宅時の挨拶も、毎朝のハグも、「幾つになっても甘えたいんだな」と思って、いつも娘の心を受け止めて、娘のために付き合ってあげていると思っていた。

けれど先日、あるところである方の書いた「娘の明るさは、母親である私にいつも笑顔でいて欲しいということなのだと感じて、それから笑顔でいようと心がけている」という一文に出会った。

「あぁ、そういうことだったんだ」と、もう何年も経った今頃になって、私とは違うステキな受け止め方に出会って、ちょっと心が震えた。

私が娘を笑顔にしたのではなく、娘が私の笑顔を見たくて、笑顔にしてくれていたのか。やっぱり子どもたちには与えてもらうことばかり。「ありがとう」しかないと、今更ながらしみじみ感じた。

先日、私も、夫の笑顔を曇らせることなく「温かな空気を作れたな、私もできるじゃないの」と思うことがあった。

その日、仕事終わりに飲み会があるという夫から「夜駅まで迎えに来て欲しい」と頼まれていた。「多分22時半ごろになると思うけど、また連絡する」との事だった。

その後、夫から少し誤字の多いLINEメッセージが届いた。「あぁ、これはしっかり酔っ払っているな」と察した。

「寝過ごさなければいいけれど」と、少し心配しながら言われた時間に駅まで迎えに行ったが、なかなか出てこない。何度か電話をかけてみるが電話にも出ない。

もう待つしかないと肚を決めてから30分後、夫が駅から出てきて、何食わぬ顔で「ありがとう」と言って車に乗り込んできた。

そこで私の頭の中にはいろんな思いが駆け巡った。

(ん???『遅れてごめん』の一言もないのか?)

(いやいや、この様子は、悪いことをしたとは小指の先ほども思っていない…ということはさっきのLINEの間違いには気づいていないのか?)

(なら、ここで私が「30分も待ってたんだけど…😒」と嫌味を言ったところで、きっと夫の反応は「はぁ😒💢?」という怒りモードで返してくるに違いない。)

(言うだけ無駄。私の不機嫌を夫に投げるより、ここはいい調子で酔っている夫の上機嫌を私が拾う方が、いい1日の終わりになるよね。)

という結論に達して、喉まで出かかった「30分待ったんだけど」の一言は、私の胸から腹に落ちて消化された。

密かに自分で「よしっ💪❗️よくやった」と心の中でガッツポーズした。

いつもいつもこうはいかないが、やっぱり、つまらないことで気持ちを暗くしたくない。共に暮らす家族なら余計に、共に気持ちよく1日を終えて、気持ちよく眠りにつきたい。

ただ自分の「自然な人間的な」温かな心に従っただけのこと。決して無理をして我慢したわけではないので、それができた自分に『いいね!』をあげたくなった👍❤️


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