見出し画像

2020年。北京からの一時帰国が一転、台湾に住み始めたという話④

本日サブタイトルは「公立小学校と住所に悩まされる100周年ベイビー」と付けておきます。

なんとか無事に台湾での14日間の隔離が終了した我々は、晴々しい気持ちで台湾の地を踏み締め、その足で隔離ホテルから歩いてすぐの台湾随一のパワースポット「龍山寺」へ向かい、前途を懸命に祈願。

画像1

家が決まるまではホテル暮らしとなるため、一刻も早く住居決定が必須となり、振り返っている暇はない状況。台湾に移住後、一息つくまでに課された膨大なタスク。まずは居留証ができるまでに行うことを、順を追ってまとめてみると、(公立小学校に入学する前提です)

スクリーンショット 2020-11-13 16.11.31

このような感じ。⑥まで一気にこなして、やっと一息つけるイメージです…

居留証の取得には申請後14日必要。ちなみに隔離が必要なコロナ時期は隔離終了後から数えて14日以内に居留証を申請しなくてはいけません。

また携帯電話や健康保険証などは居留証がないと申請ができないため、まずはとにかく⑥までの手続きや決定を数日で終わらせること集中です。申請、決定、申請、決定…で飛ぶように過ぎていく数日。

特に我々の場合、①〜⑥までの作業のうち、③の住居決定をがむしゃらに急ぐ必要がありました。なぜなら子供たちが転入を希望しているのが台湾の公立現地校(國小)であるため、借りる家の居住地によって通う学校が決定されるからです。さらに現地校の新学期は8月31日。転入生のクラス分けとオリエンテーションが26日。隔離明けの時点であと1週間の猶予しかない!

加えて台湾の公立学校の中には少なからずいくつかの人気校(明星小学校と呼ばれる)があり、その学年の枠が埋まっていれば入学できず、アクセスが悪かろうが他校に回されるという悲劇が起きてしまう…(実際には同じ区の隣接小学校もそんなに不便な距離ではなかったのですが、3ヶ月前は無知が故、焦りが先行してハラハラしてました。)

さらに、我が家の次女が民国100年生まれということがその難易度に拍車をかけます。事前にリストアップした学校の教務課の先生には、電話問い合わせの時点で「100年はメモリアル出産ベビーで子供が多くてね、枠がありません…ごめんね」と8割方断られてしまいました。

この時点で明星などとは言ってられない。と焦り、591で内見希望リストに挙げた住所へ、管轄の公立小学校がどこになるのか?その場所は「戸籍」を借りれるか?を事前に大家さんや代理人にラインで確認を取りつつ内見予約。

そう、「戸籍」いわゆる日本で言うところの本籍がなぜ必要かと言うと、公立小学校によっては転入生が外国人の場合でも、申請の際に「居留地:居留証に記載する現住所」ではなくその地に「戸籍」を有していることが条件になる場合があるからです。主に人気のある学校などがその傾向にあり、台湾人の子供たちもわざわざその地区に家を買ったり、友人や業者に借りるなどの方法で「戸籍」を手に入れて越境入学させている例が多くあります。

よって、住む場所によって変化する教育環境。オンラインでは具体的な情報が得られない、そして隔離によって動けない日々の反動か。15年の大陸生活で養われた強気の交渉力を駆使し、3件内見後 隔離完了の12時間後、とてつもないスピードで家を決定。寛容な大家さんに戸籍貸し出しの了承も頂き、いざ公立学校の手続きへ。

我々が借りた家から歩いて30秒のところにある公立小学校は、例外に漏れず学生枠が埋まっており、歩いて15分ほどの学校に訪問予約を入れ転入可能かを確認してもらうことに。

画像2

この学校は元々候補リストにも入れていたこともあって、無事に姉妹ともに学籍は置けると聞き喜んだところでしたが、ここで居留証の壁が。この学校では学籍を正式に入れるために申請時に居留証が必要、我々の受領予定は9月初旬で、入学時の8月末には居留証の提出が間に合わない。教務課の先生もレアケースを前にあれこれ必死に教育委員会に確認を取っていただき、根気よくお話をした後最終的には何とか信頼をいただき、書面上は正式な居住地がない状態ですが新学期を迎えることができました…(居留証ができたのちすぐに提出、が条件でした。)

おかげさまで今時点でコロナ期の台湾公立小学校への外国人転入については、おそらく日本人の中でも相当詳しい最新知識があると思います(苦笑)

兎にも角にも、1週間後のオリエンテーションにも参加できることになりほっと一息。いざ家具も家電もない新居へと、それぞれのリュックと軽くなったスーツケースだけで入居することとなりました。

隔離終了後、台湾在住の先輩方に教えていただいたIKEA&ニトリに出向き最低限の家具を購入、ダイニングテーブルと椅子、マットレスが届く予定だったのですが、予定時間にも一向に届かない。携帯電話も冷蔵庫もエアコンもない。まさに室内キャンプ状態。(エアコンが届いた頃には秋風吹き始めてました)

しかしながらタフで工作好きな姉妹が、段ボールにクッション感を加えた簡易ベッドを制作。大掃除できれいになった部屋に段ボールで寝る女3名。きっと我々どこでも生きていけると確信した瞬間です。

画像3

画像4

こうしてドタバタで始まった、台湾生活。ただただタフで変化を楽しんでくれる姉妹に感謝。

大陸生活の古株ベテランが台湾ビギナーになって感じた違和感。はまた次の機会に。









この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?