先人の知恵
最近まで映画にまつわる内容が中心だったので、ここはひとつ内容を脱線し、違う角度で話を進めて行きたい。
今は特に若い世代の活字離れが目立ち、書物は売れず、紙媒体を扱う業界が生き抜くには困難な時代であると聴く。
そもそも、情報源はネットが殆どの時代だ。
ましてや、かさばる書物を持つ人が少ないのも時代の流れなのだろうか。
それに付け加えるならば、スマホというツールは誰もが持つ時代だ。
スマホに限らず、タブレットという名のノートとほぼ大きさの変わらないツールもまた、書物や動画を再生する役割を担う存在だ。
ここまで話すと利便性を皮肉っていると解釈する方も少なくないだろう。
実はそうではなく、この様な便利になったのも昨日や今日に始まった出来事ではない事は皆様も納得して頂けるだろう。
世の中が便利になったのは先人の知恵の結晶であると思う。
言うなれば、時代が進化したと同時に人間もまた進化を遂げたに過ぎない。
少し話題を変え、読み返す書物は皆様はあるのかは不明だが、個人的に数冊ある。
中でも本田宗一郎氏の「私の手が語る」は読み返す度にヒントを与えてくれる。
↑(※ 因みに本の上にあるバッグはボキが作った全て手縫いというアホ丸出しの道具である)
本田宗一郎氏と言えばご存知の通り、本田技研工業株式会社を一代で設立した偉人だ。
モーターサイクルへの愛情や技術革新、今まで取り組んだ事のないジャンルである二足歩行ロボットへの情熱など、あらゆる場面において妥協を許さない技術屋と称した方が適切なのだろう。
これは余談だが、今から二十年以上前に和光市にあるホンダのエンジン工場で約六ヶ月間ほど期間社員として働いた事がある。
この職場を選んだキッカケはとても些細な事であった。
単純に、当時話題となっていたASIMOに会えると思い込んでいたからに過ぎない。
実際は会えるどころか、社員の方に伺うと、「ここにはASIMOはいないよ」と一言。
ASIMOには会えなかったが、この頃のホンダの福利厚生はしっかりとしていて、これまで働いてきた場所と比べると月と鼈と呼べるほど充実していた点も当時驚いたものだ。
与太話はこの辺にしておき、本題に移るとしよう。
最近またこの本を手に取り、改めて驚かされた点が112ページで紹介されている「自己弁護」である。
少し紹介させて頂く。
「なんだかんだときれいごとをいっても、人は所詮、自己弁護のなかで生きている。このことは、非難されるべきことでもなく、責められることでもない。この世に生きとし生けるものすべてが自己弁護の世界で生きているからである。」
この様な文章から始まる。
「聖書の世界はよく知らないが、アダムとイヴが人間としての自覚、恥ずかしさといったものを知ったとき以来、この自己嫌悪がはじまったのかもしれない。かたちのうえでみると、ご婦人がせっせとお化粧をし、ファッションに関心を寄せ、男性でも新しい背広をつくり、ネクタイの柄や幅を気にするというのは、まさに自己弁護ではないか。」
などと記載されている。
言われてみると確かに頷ける点がある。
例えば、何かを購入しようと思うと、なぜか他人の意見を参考にする。
そして言い訳がましく購入する。
これらは特に高額品を購入しようと考えた時に当てはまる。
まさしくこれも自己弁護に等しい行為だ。
「人間は自分の中に検事と弁護士を一人づつかかえて生きているということもできるだろう。私のいいたかった自己弁護は、あくまで、人の向上心の基本となる自己弁護の精神である。」
この様な言葉も残している。
「自己弁護」以外にも、ユーモアの在り方や、学問について、教育に伝など、本田宗一郎氏から見た視点で持論が書かれている。
もう一つ、「開き直り」という項目でこの様な文章がある。
「技術と芸術はちがう、というふうに私は考えていたが、自分に忠実であることが、悔いの残らなぬものを作るための最低限の条件という点では、ファッションも芸術も同じなのではないだろうか。」
確かにこれも頷ける点だ。
あらゆるジャンルがあり、あらゆる役割はそれぞれ違うのは当然だ。
しかし、技術も芸術も隔たりなどなく、創作という過程の中で情熱が宿る点は一貫していると考えられる。
改めて思う事は、本田宗一郎氏という技術屋は型破りな芸術家なのだろう。
それ故に、オートバイや車以外に興味を抱き、二足歩行のロボットや飛行機といった創造を実現させようと努力を重ねてきたからこそ、本田宗一郎という伝説が今もなお若い世代に受け継げられているに違いあるまい。
個人的に本田宗一郎氏は芸術家だと認識している。
添付した映像でも仰られているが、株式会社は本田家のものではないと強く主張している。
もう一つ、「若いということは素晴らしい。失敗も多いが、成功とは紙の裏表」という言葉に重みを感じる。
本来であれば、成功を収めるとファミリー企業になりがちだが、会社の為を思い、新たな飛躍を遂げてほしいという願いもあり、早い時期から社長の座を退き、若い世代に担った精神があるからこそ重みを感じる。
この様な精神は決して誰もが真似できる事ではない。
だからこそ、本田宗一郎氏の凄さと、人間性を目の前にすると頭が下がる一方なのだ。
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