虹に願いを
多くの映画ファンからすると、1939年制作の「オズの魔法使い」を観たときの衝撃は計り知れなかったはずだ。
これまで当時の映画はモノクロが当たり前とされていた時代に、目を疑うほど眩いばかりに映るカラー作品が存在していたとは驚きだった。
物語の優れたこともさる事ながら、ドロシーを演じたジュディ・ガーランドに魅了された者も少なくはないだろう。
煌びやかな世界とは対照的に、実際のジュディが歩んだ生涯は過酷なものだったようだ。
邦題「ジュディ 虹の彼方に」では克明に描かれている。
物語はジュディが名作「オズの魔法使い」のドロシー役を勝ち取り、名声をほしいまま手にした時代と1968年ロンドンでの5週間に及ぶライブ公演を交えた所から進む。
日本と同様、かつての芸能界は人気者であれば眠る時間さえも許されずタイムスケジュールに追われていた。
更に満足な食事時間さえ与えられず過酷な仕事と向き合うことを強いられていた。
今だと労働基準法で訴えられたら一発で会社は終わりだが、昔は当たり前にスターを商材として扱っていたのだ。
ジュディも例外ではなく、満足に眠ることさえ許されなかった代わりに、会社側から与えられた薬を服用していた。
こういったことが続き、ジュディは睡眠障害となり薬物依存と神経症に苦しめられる日々を送る。
そんなジュディの唯一の生き甲斐が二人の我が子であった。
しかし、アメリカ国内では知名度も下がり、荒れた生活が続き満足に子供を養う経済力すらなかった。
やむなくジュディは元夫に二人の子供預け単身でロンドンに渡り返り咲くことを決意する。
だがジュディにはストレスと不安が交差し、満足に練習すらできずに悩んでいた。
ジュディの抱える不安など興行主からすればどうでもいいことであり、完売したチケットをさばいたのだから何としてもショーを成功させたい一心であった。
元々子役から養った技量からか、ジュディは即興で初日のステージを成功させる。
数日後のステージを終えたジュディが裏口から出ると、二人の男性が待っていた。
二人は長年ジュディのファンだと明かす。
そして一目見ようとジュディの公演の後、ファントして帰りを待っていたようだ。
気を良くしたジュディは二人を食事に誘い深夜の街を歩く。
残念ながら開いている店が一軒もなく、二人は自宅でよければとジュディを誘う。
三人は団欒を楽しみ私的な会話を繰り返す。
すると男性の一人がジュディと出会えたことを光栄だと心の底から喜ぶ。
更に男性は話を繰り返す。
実は我々は同性愛者で、このことが罪で服役していたと告げる。
その間、ジュディのライブへ行けなかったことが心残りだと明かす。
ジュディの胸が熱くなり、ピアノを奏でる男性に寄り添う。
明確な言葉は交わさないまでも、きっとジュディの心の奥底では、「大丈夫…」とささやいたのだろう。
この場でこの作品を事細かく語ろうとは思わない。
ただ感じたことを述べるならば、ジュディは芸能界の被害者であるという点だ。
その反面、芸能界で活躍できたからこそ伝説となった。
それに幸福とは程遠い人生を歩み続けたが、この作品を通してジュディ・ガーランドというエンターテイナーを克明に知ることができた。
やはりジュディ・ガーランドを演じたレネー・ゼルウィガーがあっての本作だと痛感する。
演技もさることながら、歌唱力や見た目など完全にジュディ・ガーランドになりきった姿はまさに圧巻だ!
わーお!
てな訳で、気になる方はチェックしてっちょ♪
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?