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しあわせを色でたとえると

色という存在は不思議なもので、感情を表したり好みを示したりする。
例えば赤といえば、人によってはやる気が増したりする。
しかし反対に怒りや爆発する色を連想する人も珍しくないのだろう。
そして青だとすると、清々しい空を連想し心が和む色と思う人もいれば、反対に心が沈む色を連想させるという人もいる。
そう考えると色は誰にも共通する事なく、視覚というフィルターを通した個性の表現というべきか。

色の関連として今回はこの作品を紹介したい。
邦題「しあわせの絵の具 愛を描くモード・ルイス」である。
因みに原題は「MAUDIE」だ。

この作品は実話を基に描かれている。
主人公モードを演じるのは、実力派女優として名高いサリー・ホーキンスだ。
共演はモードの夫となるエベレットを演じるのが、同じく実力派俳優であるイーサン・ホークだ。

簡単なあらすじを説明すると、カナダの東部の町で子供の頃から若年性関節リウマチに悩まされるモードは、家族から厄介者扱いされてきた。
叔母と暮らしていたモードは、家を出ようと考えており、外出先の商店に家政婦募集の張り紙を見つけた。
モードは募集先へ訪れると、魚の行商を営むエレベットの家に着く。

同居する形でモードは家事を中心に世話をする。
だが、お世辞にもモードは器用ではなく、時にはエレベットに叱られる日も珍しくはなかった。

不器用ながらもモードには唯一取り柄があった。
それは絵を描く事だ。
家でのエレベットは寡黙でモードとの会話はほぼ無に等しかったが、モードが描く作品を見てエレベットは感心する。

やがて二人はいつしか心が一つとなり結婚をする。

決して恵まれた環境の生活ではなかったが、貧しくてもお互いの気持ちは晴れやかであった。

そもそも、それぞれの生い立ちは違えど、お互い誰にも頼る事なく孤独だった。
こういった背景があって二人とも不器用だったのだろう。
人付き合いにしろ、相手を思いやる心といった信頼という感情においては。

無我夢中になりモードは絵を描き続けた。
彼女の才能を誰よりも理解している夫のエレベットは、妻が不得意とする家事をこなす様になる。
やがてモードの作品に顧客が付くと、あらゆる注文が入りモードの作品は時間の経過と共に多くの人々に知られる様になる。

この作品が優れている点を挙げるのであれば、「強さ」と「絆」だろう。
二人が出会う前はお互いが不器用に生きながらも、対人関係に対し勝手に壁を作っていた。
そのせいで自身を解放する事なく、殻に籠った生活を無理して過ごしていたのだろう。

実のところ、モード・ルイスが活躍した物語を明確に記録されていないため、事実がどこまでが鮮明なのかは不明なのだ。
そしてモード・ルイスの作品が評価されるまで記憶は埋もれたままなので、監督を務めたアシュリング・ウォルシュ氏はおおよその記録を基に手探りしながら丁寧に描いたのだろう。

そのため、モード・ルイスの写真もわずかしか残されていない。
こういった少ない情報を丁寧に噛み砕きながら、この映画に携わった人々が、モード・ルイスが描く作品の如く伸び伸びと演じ切ったのだと考えられる。

上の画像は数少ないモード・ルイス本人である。
この笑顔を見る限り、言葉が適切ではないかも知れないが、苦難を乗り越えた表情とは思えない。
とても生き生きとしていて、表情そのものも若く、何よりも充実した生涯を過ごしたとさえ感じる。

残された作品もモード・ルイスの人柄が表れている。
作品のモチーフは日常にあるものが中心に描かれている。
素朴でありながらも、見つめているだけで心が和むせいか、気付くと自然と笑みをこぼす自身に気付かされる。

多くの人は自身を大きく見せようと背伸びをし、厚化粧で誤魔化す傾向が強い。
実はそんなものはくだらないプライドでしかなく、いらないものさえ削除してしまえば本当の自身の色に気付くかも知れない。
この作品を通してこの様な感想が自然と湧いてきた♪

わーお!

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