生命力の流れを読む占星学
いろんなところで「生命」という言葉がでてくるが、生命とは何なのだろう? そして「生命力」とは。
シュタイナー先生は、生命力はみんな感じているが、それを感知する器官が肉体にはないので、育てるしかない、と言っている。
生命力とは、形ではなく「動き」であると言ってもよいかもしれない。そして形というものは、生命の動きの結果である。とすれば、その感覚を育てることができれば、形態を見て背後にある生命力を感じることができるはずだ。
植物のかたち、動物のかたち、その背後にある力はなんだろう。どういう質を持っているのだろうか?
いちばん「生命力」を端的に感じられる生きものは植物である。植物こそが生命の世界に誘ってくれる存在なのだ。
植物のかたちの背後には、その植物をその形足らしめている質のエネルギーが動いている。その動きが止まったもの~シュタイナー先生がよく使う「死んだもの」~を私たちは見ているのである。
しかし、だいたいの人は花をみて、生き生きしていると感じたり、動物を見たり人間をみて、生命力あふれてるね、とか言ったりする。実はどこかで、その「動き」を感じているということなのだ。
生命あるものは、動き、増殖(成長や生殖)し、生きる死ぬ(生成と消滅)を繰り返す。生命の世界を理解できないならば、消滅するしかない、というのが宇宙の法則に他ならない。
今日、ホロスコープを見ながらそこにうごめくエネルギーについてみていくことを、占星学のクラスに参加してくれている人とやってみた。エネルギーつまり生命力を「動き」として認識するのが、生命体である人間を見る上では自然な感じがした。
生命や生命力はエネルギーの自由な流れがあってこそ。自由な流れがありつつも、それが「成ろう」としているものになるために、必要な分だけ促進したり制約したりする力が働くのだと思う。
物質主義にまみれた世界では、はっきり決めつけてもらうことで安心する人もいて、それはわからないでもないが、それはある意味、自分を制約し成長を妨げること、生命の流れをさまたげることにもなり、洗脳にもなりうるということに注意が必要だ。