五感はマインドの道具であり、マインドは魂の道具である
しばしば、どこぞのチャクラを目覚めさせるとか、松果体を活性化するというようなスピ系セミナーの広告を見かけます。なにゆえそんなにチャクラを目覚めさせたいのでしょうか?つうか、部分的に意識で無理やり目覚めさせようとするのは危険を伴います。自分の意識を徐々に進化させていく結果として、必要なところが自然と働くようになっていきます。
最近話題となっているLGBT理解増進法案や同性婚をめぐる問題ではとある首相秘書官が「隣に住んでいたらいやだ」などと発言をして更迭されました。
性的マイノリティだけに限らず、自分と違う立場にある人たちに対し、理解しようとする能力は主に心臓付近にあるハートのエリアからやってきます。自分と人は違うと認識する意識は、みぞおちのあたりのエネルギーセンターにあります。
その太陽叢チャクラ(チャクラという言葉が一般的なのでそれを使うが)は、「自我意識」確立のためには重要だけれど、バランスよく使う必要があり、分離的思考になったり、承認欲求が強くなったり、不必要なプライドを助長したりするのは、ここのアンバランスの印であります。
チャクラは徐々に下から上に開花していく傾向があり、今は人類全体として、太陽神経叢からハートへの移行期といってもよく、性的マイノリティについての議論がなされているのも、その一つの流れであると思います。
差別意識はあらゆるところに潜んでいて、自分の中にもあることに気づき、それを手放していくことは、日本国内だけで考えても、いろんな問題の解決につながるのではないかと思う。
ちょうど、G7に向けて法整備を急ぎたい政権の都合もあり、形だけでもまずは法案が通るといいと思っている。LGBTの当事者の問題だけではなく、日本に人権意識がちゃんと根付くかどうかの問題だと捉えている。
で、回り道をしましたが、チャクラの話に戻ります。
スピリチュアルなことに憧れたり、サイキック能力の開花に憧れるというのは、人間に生来埋め込まれている「包括的であろうとする」衝動が備わっていることの証だというのです。
つまり、意識が包括的、より広い認識を持つようになっていき、究極的には神の認識に近づくという。それは本来人間のなかに埋め込まれている進化プログラムということです。
私たちが持っている五感、そして五感の高次の働きがサイキック能力につながるわけですが、それらは何のためにあるかというと、その能力を使ってお金を稼ぐためでもなく、誇示して自己承認を得るためでもなく、より広い認識を持っていくことが目的です。
広い認識を持つというのは、当然のことながら、差別意識はどこかで消え去っていくことになります。
サイキック性質には低位と高位があり、低位は利己的に働き、高位は利他的もしくは包括的に働くものなので、低位と高位があるという認識、そして識別する力を鍛錬することで、その区別をつける重要性も理解しておく必要があります。それは、前の投稿に書きました。
https://note.com/earthspiral/n/n956a430a7012
言いたかったポイントは、
・五感と五感からの情報を得て識別するマインド、思考の働きは第六の感覚とされている
・感覚は物質界など粗いものを認識するレベルから、より微細なものを認識するレベルまである
・五感、そして第六感覚は、自分がより包括的に世界を理解するために働く
・そして、本当の自分(真我)はどれであり、自分でないものはどれであるかを識別する
・つまるところ、五感はマインドの道具であり、マインドは魂の道具である。
という話で、五感(および第六感覚であるマインド・思考)をそういう文脈で理解すること大事!と思ったメモだが、人にわかるようにと思って書いて、長くなった次第。