宇宙と地球の響き
この春から、シュタイナーの『魂のこよみ』を地球暦友の会のテーマとして取り上げることにしたので、地球暦と魂の暦の響き合いを記録していきたいと思い、毎週記録していくことをはじめた。
わりと三日坊主なので、宣言しないでこっそり始めた(笑)
ただいま14週目までコンプリートして、今日から15週目だ。
ここまでやってみて感じていることは、夏至までは何かの力に押されて、あまり苦になることもなく続けることができた。が、しかし、夏至を過ぎたら、なんとなく、あ、先週のまだ終わらせていない!と、後手に回るようになった。季節に後れを取らないように勧めていくのに、夏至以前よりも努力が必要になってきた。
なんか、重い。
なんか、いろいろ起こりすぎているのかもしれない。
夏至前は、あ、これが咲いた!こんな変化があった!そういう一つ一つの変化に何か軽やかさというか、光エレメントな感じというか、アントロポゾフィーでよく出てくる重力に対する「軽力」のようなものが働いていた。
夏至すぎたら、光エレメントから熱エレメントに転じたのか、暑苦しい? 夏至の後に今年は遅れた梅雨に入ったので、そういうところも重さの原因かもしれない。水エレメントと熱エレメントのコラボレーションの暑苦しさ。この、暑苦しさをどう乗り切るのだろうか…。
とはいえ、夏至以降の魂のこよみの言葉には、深くうなずける。
冬に自分の内側に自分を見いだし、春になるにつれて、感覚は外の世界に引っ張られていく。植物たちは土から目覚め、成長し開花していく。
毎日の自然界の変化、自然の美しさに心も目も奪われる。しかし、それらに感じ入り、一体となった時に、そこに自分自身が映し出されている。そこに見いだされるものは、個人的な自我ではなく、もっと宇宙的普遍的な自分なのだ←今ここにいる。
*ボダイジュから気づきをもらったので、それは別に書いておきたい。
宇宙からの響きが、地球に届いて、自然界も自分の魂も共鳴しているのだなということ、続ければ続けるほど実感されていく。
1年を巡るには、まだ四分の1を過ぎたところで、残りはまだまだある。秋分の時、冬至の時に自分はどんなところにいるのかが、ちょっと楽しみ。
そして、記録すること、振り返ることの大事さを改めて思った。