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マニアック植物観察の意義 前半
毎年、冬になるとラージャヨガのオンラインクラスがある。
今年で3年目。
今回のテーマは「チャクラ」
チャクラと言えば7つですが、10回のクラスでどうなるのかなと思っていたら、クラウンチャクラの上のチャクラの話までが網羅されていた。
そんなところまで、ほど遠いと思っていたけれど学べてよかった。
先生は、エソテリックヒーリングのトレーニングコースでお世話になった先生なので、それとの関連も随所に聞くことができて、理解が深まった。
上位のチャクラの意識に瞑想でつながることで、「自分自身がとても美しい、無限の存在なんだということを理解するようになる」という言葉が印象に残った最終回。
これは、言葉としては何度も聞いていることだけれど、ほんとに思えるのか? 思い込みじゃなく・・・。それを自分の中で何か検証してみたいと思ったという意味で印象に残った。
自分が無限で美しい存在って思えるか?
いや、それなかなか難しい。
現段階では幻想、幻覚のようなものでしょ。
しかし、もし、そうなったとしたら、どんな感じ?
ということに意識を向けてみると、
星々や星雲、銀河が点在する宇宙のイメージが出てくる。
そして、美しい植物、動物、鉱物たちの世界が。
イエスキリスト、みたいな、神的なものをイメージしても、
さっぱり実感がない。全くない。
でも、もし、この無限の宇宙、そこにある星々の光、
野に咲く花々の花弁の輝き、
緑に埋め尽くされた生命力あふれる風景、
それらが自分であるというのは、
腑に落ちるし、そうでありたいと思う。
昔から、人の形をしたものが苦手だった。
人形を見ると泣いている子供だった。
未だにナゾだけれど。
天使や妖精も擬人化されているものはちょっと苦手。
天使は聖書なんかに描かれている通りに書くと
恐い姿になるといわれるけれど、
そっちの方がほんとだろうなと思う。
美しく荘厳すぎてコワい、畏れ多いのだ。
脱線しました。
つまり、それが植物や自然界をどう見るかに
こだわる理由につながるなと思った。
という話。
長くなるので、続きは別に投稿するよ。