ヤナギの本質と植物の持つ二重性
ヤナギの新緑が美しくなってきました。
ウィロウはフラワーエッセンスでは、自分は運命の犠牲者であり、恨みや憤りが溜まっている人のためのレメディ。
植物の中には二極性を見ることができます。
ヤナギはうねってボロボロの幹や枝が、確かにやさぐれたように見えるのですが、いっぽうで、枝先には春の芽吹きに備えて、たくさんの小枝を見ることができます。
そして春になるとその小枝からたくさんの花芽と葉が噴出してきます。
そこから、年老いた憐みを感じる姿と、若々しく生命のみずみずしさを感じるすがたの二つを見ることができます。そして、春の希望に満ちた明るい緑も。
今年の冬は雪が凄かったので、いつもなら折れないようなところの枝が折れていて、毎朝の猫の散歩の付き合いの時に、折れた枝を整理したり、森のお手入れをしています。
ヤナギの枝は、小さいものなら簡単に素手てポキポキ折ることができて、処理がしやすいのですが、雪や強い風の時に、大枝ごと持っていかれないように、小さいところは折れやすくなっているんだなと感じた瞬間に、「手放す」という言葉が心の中に響いてきました。
「手放す」
これも、ヤナギが持っている本質のひとつではないかと思いました。
瑞々しい生命力と柔軟性、そしてためらいなく手放していくことにより、出来上がった姿が、ヤナギの本質を示しているのだろうなと思います。