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星々の言葉覚書④ 天秤座的考察その2 使命という呪縛
今日の個人セッションの時に、自分の使命について質問を受けた時に、「使命」という言葉にあまり良い印象を持っていない自分がいることに気づいた。
そこで、天秤座的考察がまだ終わっていなかったと思い、クライアントさんといろいろ話をして、わたしも言語化できたところがあるので、覚書を残しておきます。
(その時のセッション受けてくださった方、ありがとうございます!)
天秤座的考察は、実は上記の記事で終わってはいませんでした。今日のやつでも、本題にまだ入っていないので、あと1回で完結するかと思います。
ここから、今日の覚書。
使命というのも、どのぐらいの範囲と時間的スパンで考えるかで様々だけれど、たいがい、スピ的文脈では「今世の使命」となる。
しかし、今世の使命がわからなくて思い煩うよりは、今やるべきことは何なのかに焦点を合わせた方がよい時もあります。
するとある時、もうちょっと長期的なヴィジョンが浮かんでくるかもしれません。そしたら、それを現実化するために、いろいろやってみればよい。
そして、ただひたすら、やるべきことをやるだけの日々が続くこともある。そしたら、それをやっていけばいい。
人生には季節と同じで周期性があります。その周期は人によって同じ時間で巡るわけではない。
なので、今世の自分の使命がわからないと悩むよりは、今やるべきことに焦点を合わせて実行するのが良いかと思います。「やるべきこと」がわからなければ、「やりたい事」から入ってみます。
欲求を深くたどっていけば、最終的には自分の魂の意志に通じるので。
欲求とは、それを満たして物質的、情緒的な満足を得るためのものではなく、自分の真の意志にたどり着くための梯子にすぎません。
今世の使命という、究極的な何かがあるという思い込みを手放すことも大事かなと思います。こだわるほどたどり着けないかもしれません。
おそらく、使命とカルマ(課題)は表裏一体で、課題としてやってきているものに自分は取り組めているかという視点も並行して持つことが大切。
光と影(あえて闇とはいわない)が合一に至るまで、両方見て、抱え続けるのが人間の使命と能力といえるかと思います。
(つづく)