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2020年頃に思ってたこと

懊悩としていた頃に書き殴ったもの、を若干修正。
まぁ。。。何かに苛立ってたんでしょう苦笑

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※コミュニケーションはプロモーションと読んでいただいても構いません。ただし、パブリシティをPR(Public Relations)とは読まないでください。

かつてパブリシティはコミュニケーションの女王であった。今は場末の娼婦と化している。

広告の芸術化(クオリティは高いが効果が薄い)と失われた数十年でシュリンクした広告予算。そんな中で「安い広告」として2000年代にチヤホヤされたパブリシティ。
プレスリリースにキャラバン、ツアーや飲みニケーション等の様々な手練手管を用い、メディアという第三者を介して客観的に、だからこそ信頼できる(であろう)情報として発信。
タイミングや内容をコントロールできないが故に嫌われることもあったが、コミュニケーションの花形、女王たりえた時代があった。

それに対するコミュニケーションの王様は、やはり広告。
ネットの広告費がTVの広告費を上回ったやら、ネイティブアドやら記事広告やらステマやら、業界内有名人のアジテートやら、色々ザワつくことはあっても、言いたいことを自分のタイミングで発信できる、という魅力には抗えない。

芸術化への反省は「受容されるコンテンツ作り」と「ターゲティング」。パブリシティへの反動は「オウンドメディア化」と「ミドルクオリティな動画」。
言いたいことを聞きたい人に届けられますよ、という甘い囁きまで付いたら、パブリシティの相対的価値も下がるというもの。

ただ、コミュニケーションも有り体に言えばマーケティングの一要素。
商品の作り込み、価格(原価)の作り込み、商品の流通を含む売る場所の最適化。
女王だ娼婦だ王様だという陳腐な議論(自分で言いだしたくせに)はさておいて、他のマーケティング要素そっちのけで、コミュニケーションだけに精を出してもモノやコトは動かない。

もう少々掘り下げると、本来のPRはパブリシティという手段・手法ではなくもっと大きな概念で、「他者との関係作り」と「(それによる)行動変容の促進」。
先のマーケティング最適化の一助となるべく、あらゆるコミュニケーションギャップを解決するためものだったはず。

といったフラストレーションと戦うこと12年。
まさか役所に出向することになろうとはw
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当時のフラストレーション、その後の紆余曲折を経て改めて思うのは、PRとは「知ってもらって、好きになってもらう」というシンプルな結論。
それをできてるかどうかは。。。未だ修行中苦笑


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