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【カエルくんとの出会いと、当たり前のなかに旅を見つけたお話】


いまは車で寝ています。
どうしてかというと、おじさんの住んでいた、電気はあるけれどもネットも冷蔵庫もなく、そして水道もないお家でいまは生活をしているのですがなんとなく飽きたというか、寝るときに準備をして、起きたら床上げをしてというのが面倒くさくなったのです。
車なら起きたらそのままにしておけるし、日中はずいぶんお日様が当たるので、運転席の窓のところに寝袋を置いておけばフカフカになります。


朝、おじさんの家に入ってきていちばんにすることがカーテンを開けること。
1番大きな窓を開けるとそこには四角いかたちをした池のようなものがあって、今は何もありません。草が浮かんでいたり、僕がコーヒーを焙煎したあとのチャフがうっすら浮かんでいるくらい。


そこにある日、カエルがいました。
優雅に泳いでいるわけでも、水浴びをしているわけでもなくて、半身浴をする人みたいに、上半身から上はすっかり水のうえに出してぼーっとしていました。
しばらく眺めていてもまったく動く気配はありません。
そうして忘れたころに見ると、もういなくなっていたり、いまから草むらに戻りますという感じでジャンプしていたりする。


これを書いているいまもカエルくんがいます。
そう、いつの間にか、くんをつけるようになりました。
「1匹だけなんかな、なんか寂しそうやな」と思うようにもなりました。


今日もおるし、なんか書き残しておこうと思ってこの文章をカエルくんを見ながら書いていたのですが、カエルくんの30cmくらい離れたところに、1匹の黒いハチの仲間みたいな虫がダイブをしてしまって、そうしてぼーっとしているカエルくんにはまったく関係がなく、というか気付いていないのか、その黒ちゃんだけがもがき苦しんでいて、それはもう僕が見ていられないので細長い草のクキを伸ばして助けましたが、そのときにソーシャルディスタンスが崩れてカエルくんは草むらに帰ってしまいました。


もう怖がるようになって帰ってこないだろうか。
それともソーシャルディスタンスを保ってさえいえればまたいてくれるのか。
いまはもうカエルくんのことを考え不安になってきて、文章を書く手が何度も止まってしまおうとしている僕です。嘘です。


こんなことに目を向けることってもうしばらく無かったように思うのです。
少なくとも僕の場合は。こんなにゆっくりカエルを眺めたり、そのカエルの行く末まで心配してみたり。それはきっとこのコロナで引きこもっている状況が、僕の心に作用しているんだと思う。


それはただ暇になったから、ということだけではなくて、時間もあって、心に余白もあって、その両方があるときに、これまでもそこにあった「あたりまえ」であるはずのものに、別の世界が広がっていくということなのだと思うのです。

旅とは世界を広げていくものだと思っているのです。けれどもこの考え方でいけば、体が旅に出なくとも、そして日常のなかでも旅に出られるような世界の広がりは作れるのかもしれない。そういうことに思いを馳せる朝。おはようございます。

カエルくんはどこかにあるのであろう彼の家に帰ったのか、もう草むらにはいません。


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