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体調不良の夜にSNSを見なかった訳
昨日の投稿するかどうか迷っていたんですよね。
ただ「LIVE配信今日は都合がつかずできません」って書けばよかったのにね。
2度どうしようか迷って、僕は自分のそのままを出すほうがよいかと思って、
「体調がよくないのでお休みします」と書きました。
そのときは、それほどしんどくなかったんですよね。
スローでいれば大丈夫みたいに。
そして昨日は家に泊まりに来てくれている中学生たちとの旅をともにした
フランス人のケビンが家族のために料理を作ってくれることになっていて、
なおさら僕が食卓にいるべきなんだけれど夜になって昼間よりもしんどくなったのであとのことは家族に任せて僕は眠りにつきました。
そのときまでFacebookで見ていたんです。どんな反応が来ているかなって。
けれどそのときに「もう元気がないうちにFacebookのコメントを見るのはやめておこう」と思いました。
基本どんなときにでも自分が投稿した記事に来ているコメントは読む。
出来る限り返信する。
ということは自分に課しているんですけれど、昨日は見るのをやめました。
自分の心を守らないといけないと思ったからです。
「○○したらダメ」
「カラダの声をきかないと」
「無理したらよくない」
「○○しなさい」
これらの言葉ってね。ほんとにしんどいんですよ。
今日の体調が戻ってきている僕にはもう大丈夫。
けれど昨日のしんどいときの自分にはとにかくしんどい。
すごく失敗を責められている気持ちになるんです。
自分を否定されているような気持ちになるんです。
どうしてだろうと今考えながら書きますね。
○無理しているつもりはないんです。自分なりに休息をとりながら、無理はしないと言い聞かせながらやってきたつもりです。それでも体調が悪くなるときには、なるんです。
○自分のカラダってね。その過ごした人生の分だけ一緒に過ごしてきているんです。だから自分のからだのことちゃんと分かって、と書かれるとなんだか自分のことを否定されているような気持ちになるんです。
しんどいときにしか感じられないことってありますね。
ぼくも基本的にはいつも元気だから、だから昨日しんどくなって分かる気持ちがたくさんありました。
子どもたちにもこういう経験たくさんあると思うんです。
「○○したから失敗した」
「だから言ったのに」
と言われたらたぶん、それを言ったかたが伝えたいこと以上に、ダメージが子どもたちに残ると思います。
失敗を責められること、そのことはその人を励ましたいと思っているその気持ち以上に相手を傷つけているかもしれない。
コロナの現状と向き合っているひとたちにもあると思うんです。
「こんなときに○○だなんて」
「だから○○しておけばいいと伝えたのに」
「とにかく○○するべき」
言われたかたには、あなたのそのメッセージとともに伝えたかったことよりも、自分のやってきたことを否定されてしまった、というダメージが届いているかもしれません。
毎日お手紙が届きます。フリーコーヒーを届けたかたから。
そのなかにはたくさんのドラマがあります。心の声があります。
自分が思いもしなかった小さな小さな、けれどもずっと心に抱いて生きたいと思える人生のご褒美のような言葉もあります。
今日起き出して体調は戻りはじめていると感じています。
昨日動いていなかったところが動いているのを感じます。
だから今日もゆっくりはじめようと思います。
どうかぼくを見てくださっているみなさんの心に少しでも安らぎがいてくれますように。
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自分が自分でいられること。
旅の日々で自分の心に浮かぶ思いや気づきを読み物として。僕の旅の生き方のなかで、読んでくださる方々の心に心地よい余白が生まれればいいなという…
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