旅が生まれた。
12日間の子どもたちとの自転車旅を終えたあと。
まだ余韻が抜けきらぬなかで、最終日のレポートを書いていたときに
そんな表現が出てきました。
旅が生まれるってどういうことだろう。
「旅をする」ということはこれまでも数え切れないくらいに使ってきたけれど「生まれた」という言葉が出てきたとき、どういうことかよく考えないままそれを書き残すことにしました。数日経ってなんとなくだけれどそのことについて考えていたことを書いてみようと思います。
旅をする。
旅に出る。
それってどちらかというと自分に向けて書いている言葉だなという気がするのです。そして今回の旅は仲間たちとともに、そしてその行く先々でたくさんの出会いがありました。
そう、今回の旅には、僕がこれまでやってきたひとり旅、そしてこれまでも子どもたちを連れて旅をしてきたのですが、それまでのどの旅よりも人と関わる機会が多かったのです。
メンバーそれぞれの思いがあり、先着順で選んだわけでもないのになぜか「このメンバーでなければいけなかった」という思いがあり、出会った人との物語があり、そして出会いから生まれたドラマがありました。
そう、それはもう自分の思いや決めごとや想像力をこえて、それこそこの旅に関わるすべての人がいてくれたこそ「生まれた」ものだったと思うのです。それが最終日のレポートを書きながら「旅が生まれた」という表現になったのだと思います。
僕はもしかしたら、人より長く「旅」というものをやってきました。
けれども、もし自分が「好きなことをやるだけの旅」というものをやっていたら、こんなにも長くそれは僕の思いとしても、誰かに届くものとしての旅としても続かなかったんじゃないかなと思うのです。
旅とは決してひとりごとではなく、他人ごとでもなく、そこに関わる人がいてくれるからこそ「生まれる」ものなんだなと思ったときに、心にすっとそれがおさまったような気がしました。
ここから先は
自分が自分でいられること。
旅の日々で自分の心に浮かぶ思いや気づきを読み物として。僕の旅の生き方のなかで、読んでくださる方々の心に心地よい余白が生まれればいいなという…
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