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自分の表現がネット上で否定されたときに持つべき心がまえ。

先日、僕世代なら誰もがよく知っているバンドのミュージックビデオを作っているひとと話す機会があった。3、4年前に一度食事をご一緒することがあってから、また一緒になにかをできればいいなと僕が勝手に心を寄せていた方だ。

一度お会いしてからは、SNSで活動を一方的に見させてもらっては、
「新しいMVが完成しました」と出ているリンクをクリックして、そこから流れてくるずっと変わらない、あの歌い方で僕を安心させてくれる歌声とともに、彼が制作した映像が流れているのを眺めながら勝手に嬉しい気持ちになっていた。なんだかあのバンドが近くに感じられるようで。

数年ぶりの再会。そして小さなことかもしれないけれど一緒にイベントをするオファーをいただけたことがすごく嬉しかったし、そこでパフォーマンスを発揮することはもちろんだけれど彼自身と話すことがすごく楽しみでいた僕は、イベントが終わって食事を一緒にしながら作り手としての思いをいくつか聞いてみた。

そのひとつがこれだ。というかこれが一番彼に聞きたかったのかもしれない。

「新曲のMVとかを作られると必ず、今回はいい!とか前のがよかった!とか分かってない!とかいうファンからの一方的なコメントがyoutubeに寄せられるじゃないですか?それに対して○○さんはどういう風に受け止めてらっしゃいますか?ていうか凹んだりすることはないんですか?」

それは自分も彼のやっていることに比べればはるかに小さいことだけれど、自分のやったことが拡散されるのを少しドキドキしながら、そして少し不安になりながら思っていたことだった。

表現なんだから、食べ物と一緒で好きな人もいれば、そうじゃない人もいる、嫌いな人だっている、だからそんなこと気にしたって仕方がない。と口で言ったり、自分に言い聞かせることはできるけれど、じゃあそれで動かないメンタルを持っているかと言われたら全くそんなことはない。つまり自分がやっていることには責任が持てるけれども、勝手に広まっていくことにはオロオロしている自分がいたのだと思う。

そんな期待たっぷりで聞いたものだから、どんな答えが返ってくるのだろうと楽しみにしていたら、彼の最初の返事はあっけないものだった。

「いや、全く気にならないかな。」

そこからは次のようにつながっていった。
「僕が対話するのはアーティストであって、彼らが納得するものを作ることが僕の仕事」
「ダメなところは、ダメだって分かってる。自分で作ったんだもん。」


そうして話を続けながら、そういえば前に写真家の幡野広志さんにもおんなじことを聞いたことをいまこうして書きながら思い出している。彼はこう言った。

「自分の命も時間も限られていて、それを自分の思いの届く人につかうのか、それとも自分のことや表現をただただ否定してくる人たちにつかうのか。僕にはそんな時間はもうありません。」

ドシーンと来た。
しょうもない質問してほんますんません!と思った。
そんなこと思ってもまた誰かに同じ質問をしている自分の情けなさよ。


自分なりに考えてみよう。
もしネットがなくて、自分のところに来るコメント、メッセージや評判を見に行く検索が無かったとしたら、自分が直接耳にすること以外はぜーんぶ世界のどこかにはあるけれども、それは自分には届かないことであるということ。

共感が広がりやすい社会というのは、自分の見たいコメントを見やすい社会でもあって、そして自分の表現を好きじゃない人の意見も見やすい社会であって、そんな当たり前のことなのに見たくない表現を見たときにむねがザワザワしたりするのだ。

これは完全に自分の問題。
こうして戒めのように書いているけれども、自分がほんとにやりたいこと、書きたいこと、いってみたいとこ、それらは全部自分の手の中にあるのだ。誰にどうこう言われる前に。

今の時代だからこう。ということは簡単で、どんな時代にでも自分のほんとの思いというのはそれとはまた別のところにあって、けれども何かをするときに、そのことを世間に見えるかたちにしたときに飛んでくるさまざまな意見や言葉に僕はうろたえてしまう。

それは今の時代に悪い人が多いのでもなく、ネット社会がつくりだした闇でもなく、
シンプルにいままで届かなかった思いが届くようにもなったし、返ってくるようにもなったから仕方がないことだとある程度自分に落としこんで納得してしまいさえすればいいことなのかもしれない。

それを鈍感力というのか、
ノイズを自分に取り込まないというのか、
はたまた割り切るというのか。

どちらにせよ自分を信じる、やってみると言うことは容易いけれど、
それを実行にうつすときにどれだけそういったことを自分から切り離すことができるかどうかはまずひとつな気がしたりする。

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