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触れても触れられても揺れる【12/28-11/5】

土曜日はファーストピースサークル、日曜日はひらがなを話す会。
ファーストピースサークルには少年と青年が参加している。そして両方の母も共にサークルに参加している。このサークルの目的は、みんなでファーストピースサークルを学ぶこと。そしてこの少年と青年は、母親の強い願いでやってきた。彼らは一緒に物語を探求したり感じていることを話していく時、とんでもなく感性豊かなことを言う。大人たちがまた思索を始めることになる一言を輪の中にもたらす。そして同時に、大人たちの積み重ねてきた常識や枠を予想もしない方向から飛び越えていく。そんな彼らと「一緒に学ぶ」とは、一体どういうことなんだろう?ファーストピースを生きて、そこから関係していくことについて、彼らの存在はとんでもない示唆をくれる。

「子どもたちをどう育てるか」を思うとき、「私たち大人はどう生きるか」を抜きにして語ることは絶対にできない。私たちがどう生きるかは、そのまま彼らの糧になる。彼らは目の前の大人たちの振る舞いから全てを学ぶ。何が正しい?何が良いとされている?どう振る舞うのが正解で、どういう言葉が受け入れられやすい?子どもたちはこれらを周りの環境からスポンジのように吸収する。だから「子ども」という存在に責任を感じれば感じるほど、何をするかよりも大事なことはその子どもの前で、自分の内なる声を聞いて「どう生きるか」「どう在るか」「どう在りたいのか」に真っ直ぐに「生きようとする」ことだと思う。わざわざ「」をつけたのは、それがうまくいってるとかできてるとかじゃなくて自分が生きたいように生きることを諦めてない姿勢があってほしいって願ってるから。

そういう意味でファーストピースを生きることを学んでいる大人に囲まれた環境は、子どもたちにとってどう生きるかを学ぶかなり良い環境だろうと思う。そして同時に、大人たちには普段仕事で感じるのとはまた種類が違うプレッシャーやチャレンジが大いにある。すぐに答えが出ない類の問いが渦巻く。

大人として正しいことは?場として正しいことは?自分の立場として正しいことは?これらは全て外側に向かう問いだ。ファーストピースが自分の内側にないままこの問いに答えても、自分か周りを痛めつける声しか聞こえてこない。

難しい時ほど、自分の内側でやかましく響く声たちを全て聞く練習の時。その瞬間できなくても、後から振り返って学ぶことができる。

こんなもん聞きたくも言いたくもないって声を自分の器でしっかりと聞き取る人間の姿は逞しく美しい。まさに「大人」だ。たくさんのたくさんの自分や外側を痛めつける声たちをとことん聞き取り、どの声もなかったことにせず、ハートに真っ直ぐ近づいていく練習をただただ重ねるしかない。大人のその姿から発せられる言葉や行動は、言葉づらの正しさや優しさを超えて生命に触れる。何かと何かが触れたら必ず揺れが起こる。触れた方も触れられた方も揺さぶられる。人は皆その揺れから大いに学ぶことができる。それこそがみんなで一緒に生きるための胆力を育てる。揺れること、揺さぶられること、触れ合うこと、ぶつかること、擦れること。人と人の出合いが起こすこれらの摩擦を恐れていては、私たちはいつまで経っても手を繋ぐことはできない。溶け合うことはできない。結ばれることができない。私の内側でそれができなかったら、人といるのは難しい。人間同士でそれができなかったら、他の種とそう在るのはとっても難しい。始まりはいつも私の内側から。


手を繋ぎ、結ばれて、溶け合うことは、目標じゃなくて、還っていく・思い出していく原点のはず。自分を感じて人を感じて世界を感じた結果、その全てが繋がっている場所に元に戻っていくのだろう。「感じる」の世界をこの現実で生きるために、私たちに備わっているあらゆる知性を起動させる必要がある。ファーストピースはそのことを教えてくれるし、ひらがなもその原点に触れる時間になる。自分の声を聴く人間たちと輪になると、終わった後にげんきになってるから不思議。

そしてその手前にはもう少しやわらかなステップがあるのかもしれない。本質を大切にしたまま最初に私たちの世界観に出会うやわらかなステップもちゃんとご用意したいという気持ちから、2023年からは新しく《ビーズの輪を紡ぐ会》も始める。

ビーズの輪を紡ぐ会についてはまた改めて書くとして、本当に今週もたくさんの生きる練習があった週でした。今日も一生懸命生きた自分を労ってね。一緒にがんばってる人がいるなら、労いあってね。今日もよく生きるいい日になりますように。

Earth Partner

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ビーズの輪を紡ぐ会
2023年の始まりから、沖縄・関東・関西で開催します。


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