人を人として見ること【10/17-10/23】
地球と一緒にしごとする。これがEarth Partnerが掲げていること。
地球と一緒にしごとすることは、全然特別なことじゃない。人間が生きる毎日は地球で行われている営みなんだから、私たちは何をしていても地球と一緒。だけどそのことをすっかり忘れてしまうと、人間たちとの間での関係性や日々のお金のごちゃごちゃの間にすっかり溶け込んでしまって、自分が地球に住んでることをすっかり忘れてしまう。
頭の上には時間と共に色が変わる空があって、そのもっと向こうにはたくさんの星がある。足の下にはたくさんの生命を育む土があって、海の向こうから山の上からいつも風が吹いてきていることを忘れてしまうとき、私たちは目の前の美しさにただ佇む時間を惜しむ。目の前の人が常に何かを感じている人間だということを忘れる。そういうとき大概のことはうまくいかないなあと思う。じゃあ自然や地球のことばっかり考えてたらいいのかと言うと、それも違う。山の中でたったひとりでサバイバルしていなくて人里で生活してる限り、目の前で起こる心を揺らす出来事は必ず他の人間との間で起こることだから。私たちは今、「人と関係する力」を育てる必要がある。私たちEarth Partnerはこの人が人と関係する力を、「地球と一緒に」の視点から育てようとしている。
人を人としてみる、という言葉があるけど、それってどういうことなのかずっとわからなかった。だけど地球と一緒にしごとするって言葉とずっと一緒にいて、たくさんの人間と一緒にいるようになって、私なりに意味がわかってきた。人を人として見るっていうのは、人を地球として見るっていうのとすごく似ている。目の前の人は、何かを常に感じていて考えていて色んな気持ちになっている存在が生きて動いている。顔の表面の鼻は山みたい。口は谷みたい。頭の毛は木や草みたい。お腹の中にあるたくさんの気持ちや頭の中を巡る声は、色んな種類の虫のようだし動物のようだし微生物のようだし、お天気のようでもある。そしてこのまなざしをまず自分に向けることができるようになって初めて、人のことをそう見ることができるようになる。
夕焼けに感嘆するように、荒れる海の波にワオって驚くように、渡鳥の隊列を見てどこにいこうとしているんだろうって思いを馳せるときのように、自分の全部に生命の息吹を感じて自分に佇むことができるようになったなら、人のこともそう見ることができるだろう。そこから目の前の人に関わることができるようになったら、きっと私たちはもっと全部と一緒にいられるようになるし、一緒に何かをつくり出すのがもっともっと素直にできるようになるだろう。そんな私たちは、もっと地球全部の生命を力づける何か創造ができるようになるに違いない。
それってそうできたらいいなって言っててもできないから、いつもいつも意識しておく必要がある。毎日の中でプラクティスしてたら本当に、できるようになる。本当にそれだったら全員誰でもできるようになるから、毎日のプラクティスに尽きる。だけど意味のないプラクティスは本当に意味がない。私の向きはそっちだと決めたなら、プラクティスは私たちを大きく育てる。気が向いた時にやるんじゃなくて、やると決めてやり続けることが自分の普通を変えていく。だからどんな想いの向きで、どんなプラクティスをやるのかがとても大事。
どこかに向かおうとする想いの力が、私たちを育てる。自分は何者か思い出すことが、私たちが伸びていくことを支える足元になる。私たちはどこからきて、どこに向かい、何を創り出そうとしているんでしょうか。そこにはいつも自分が一緒にいて、いつも人が一緒にいて、いつも地球も一緒にいる。その場所でみんなで一緒に生きていけますように。
今週もよく笑い、よく泣き、よくまなび、よく眠れますように。
Earth Partner
りな
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