私のアースデイ活動の原点〜里山生活の体験
文:坊理可(アースデイジャパンネットワーク共同代表)
アースデイ ジャパンネットワーク共同代表の坊理可です。 まず自己紹介を兼ねて、アースデイ活動を始めるきっかけである私の里山生活の原体験についてお話しさせていただきます。
夏休み、里山生活を体験する
私は子供時代の夏休みを、宮崎県の里山の広葉樹の小さな森の中にある茅葺き屋根の家で過ごしていました。広く開かれた縁側からは、祖母が耕した田畑や山々が見渡せました。桜島が噴火した次の日は、雪が降ったように辺り一面が真っ白な灰で覆われており、雷の轟音と大雨が小さな家を縦横に大きく震わせた台風の後は、皆で土間から水を掻き出したり、雷で裂け焦げた木が道を塞いでいるのを片付けたりと、田舎暮らしが大自然のもとにあることを思い知らされました。
周辺には子供達が夢中になる生き物たちで溢れていました。高床式の床下には熱いさらさらした砂でできた蟻地獄ーアリジゴクの巣が沢山あり、砂色の柔らかいアリジゴクが、もがきながら巣に落ちてゆく蟻を怪獣のような牙で捕獲する様子や、子供が戯れに壊した巣を同じ方向にくるくる回ってすばやく作り直すのをいつまでも眺めていました。畑を飛び回る大量のアゲハ蝶や紋白蝶、冷えた家の壁を走るヤモリ、見たことのない大きな白い蛾が粉を撒き散らしながら夜間に家の電灯に飛び込む様は、南国特有の光景ではないかと思います。
畑の肥しになる厠や鶏小屋の糞尿の臭いで、これから始まる田舎生活に抵抗を感じながら、赤く燃えてぱちぱち鳴る薪の音を聴いて五右衛門風呂に浸かっていると、もとからここに住んでいるかのように体の芯から緩んで田舎生活に馴染んでいく気がしました。
「神が水」(かんがみず)
周りを観察することで、自然のなりたちを不意に理解することがあります。家のすぐ傍には、川底の丸みのある大小様々な石が見える透き通った小さな川が流れており、「神が水」(かんがみず)と呼ばれている山の湧水が民家を通らず直接流れてきていると聞きました。ここで野菜を冷やしたり、石鹸で洗濯をしていたのですが、雨の時は、川の流れが人が立てないほどの勢いに変わります。
その水かさの増した川を恐ろしいようなわくわくするような思いで見つめながら、「この水が山から来ていつか海に出て、天に戻り山に降り注ぐ、そしてまたここに流れて・・」と繰り返し想いを巡らせていたのを覚えています。雨の後は虹が見えることもあり、川辺の芋がらの葉の上に水銀のような水滴が光り輝いていました。
「循環型社会」への想いにつながる
祖母は、十三人の子供を産んだ後、祖父が早逝して子供達も遠い都市に移り住んだため、生涯、自給自足をしながら一人暮らしをしていました。テレビや電話もなく、たまに小さなトラックが少しの加工物を売りに舗装されていない道を難儀しながらやって来て、それをほんの僅かに買う以外は、全てを自然から賄っていました。私が「循環型社会」や「アグロエコロジー」という言葉を知ったのは、随分後になってからでした。
アースデイ活動へとつながる想いは、また次回に。