「だんだん」優しくなっていく
バスか徒歩しか交通手段がなかった
私の生家は、最寄り駅から車で50分の所にあり、子供の頃から移動は、バスか徒歩しか手段がなかった。
祖父が末期癌で入院した病院の近くには、今は廃線でなくなった駅があり、私は汽車を見るためによくねだって連れて行ってもらった。
車酔いする私は、バスが苦手だったし、当時生きていた下の叔父の無茶な運転で事故をしたことがあるので、母が私が7つの時免許を取って自家用車が来ても、それはたんに重い荷物を運ぶ箱のようにしか感じなかった。
船、というのは乗ったことがない。
保育園の親子遠足で、たった一度きりだが、祖母でなく母が参加した時があったのだけれど、そこで湖を渡る船に乗る予定が、「私は船酔いするので」と母がすげなく断ってしまい、保護者が乗船しない船に幼児を乗せるわけにもいかず、私は船に乗れなかった。
船が帰ってくるまでの間、どれほど時間がかかったか分からない。
母が「船に乗らない」と言った後の記憶が、全くない。
バスの運転手さん
自家用車は一家に一台と言うより、一人で一台という環境ではあったけど、いろいろな理由でバスを利用する人たちも大勢いた。
1990年代に多分あったかも知れないけれど、AT限定という免許の種類のことを私は知らなかったし、また、周りにAT車を運転するひともいなかった。
MT車の、あの左手と右手を別々に動かす曲芸技は、私には無理と諦めた。
バスもどんどん廃線になり、台数も減っていき、地方の公共機関ではありがちなのかも知れないけれど、高い金額は払わされるのに、サービスは最低であった。
もちろん、いつも朗らかで丁寧な運転手さんもいるが、だいたいが、理不尽に客を怒鳴ったり、気に入らないと舌打ちしたり、予定時刻より早くバス停について、はっきりとこちらに走って来るひとが見えているのに、出発してしまったり。
嫌だな、といつも不快な気分を味わっていたが、引っ越し先はバスの利便性を考えて選んでいたので我慢していた。
まあ、振り返って見ると、低賃金であれだけの拘束時間の仕事、彼らも辛かったのではないかもと理解もするが、サービスを提供する側を経験した身としたら、やっぱりないなと思う。
自家用車
仕事上でどうしても普通免許が必要になり35歳で免許を取り、車も買った。
しかし、車に愛情がなかったので、当然中古車。
最初の車は色は覚えているが車種は忘れてしまった。
次に買ったのも中古車で、これはスズキのkeiという車だった。
黒くて、2ドアで、必要はなかったがターボがついていた。
その車を買ってすぐの頃、私は今住む町に越してきたので、その車で1時間かけて会社に出勤した。
自動車道を使えば30分なのだが、どうしても無理で、下の道を地道に走った。
ひたすら国道をまっすぐ道なりに走るだけなので技術はいらない。
また、その道には結構急勾配の坂が2つあり、ここで必要ないと思っていたターボが役に立った。
役に立っているのに気づいたのは私でなくて、北が私を車を運転しているときに気づいたのだけど。
北はkeiを気に入ったが、廃盤になっていたので、通勤用の車に後継機種を買った。
まあ、41の時に仕事を辞めて車も全く乗らなくなり、今の家に引っ越す際、車検もとうに切れていた車は、北の探してくれたリサイクル業者の大きなトラックに連れて行かれていなくなった。
最寄り駅
今の家は、最寄り駅から徒歩8分、最寄りのバス停からは2分ほどだろうか。
「G駅前」というバス停の名前に違和感はある。
「駅前」というのはだいたい目の前に駅があるのではないのだろうか。
最寄り駅もまだ利用したことがない。
移動の時は北が車を出してくれる。
ただ、最寄り駅から、「水木しげるロード」まで乗り換えなく行けるのはいいかもしれないと話している。
500円ほどの有料駐車料代金の節約の為というより、駐車場を探す手間、待ち時間を考えると、うちに車をとめて汽車で行った方がいいかもと。
観光地はあまり好きでないが、イチゴ飴や、ぬれせんべいのお店、普通盛りを頼んでも大盛りが出てきてしまうそば屋さんなど、私たちの気に入っている店も多い。
年に数回しか行かないが、普段車でしか移動しない私たちには小旅行の代わりになるかもしれない。
だんだんバス
この町に住み、郊外の住宅街から市街に引っ越した後、道路を派手は模様のバスが走っているを見かけるようになった。
調べると、「だんだんバス」という市内の循環バスであるという。
まだこの町に越す前、仕事で知り合った友達がこの町出身で、たまに「だんだん」というので、それはなに?と聞いた。
「ありがとうって意味」
この町の飲食店では、箸袋や会計時に渡される飴やガムに、「だんだん」と印刷されているものが多い。
だんだんバスのコースを見ると、思いっきり私の徒歩圏コースを走っているので、利用することはないような気がする。
そうして、私はかなりひとりで行動出来るようにはなってきたが、まだパニック障害であり、知らない誰かと長時間、密室に拘束されると考えるだけで震えてしまう。
しかし、こういうサービスを長く続けてもらうには、利用者がいなければ駄目で、こういうサービスを求めるひとのために、もう少し回復したら、利用してみようかとも思っている。
150円
だんだんバスの利用料はおとなが150円らしい。
もちろん、何回確認しても、私の徒歩圏内をぐるぐる走っているバスなので、お得感はない。
けれど、私の出身地にはこのようなバスもない。
私が住んでいる頃から2時間に1本程度であったが、今はさらに本数が減っている たそうだ。
私は生きている限り自力で歩くことを目標にしているが、万が一の事故でどうしようもない状態になるかもしれない。
そのようなとき、やはりこのサービスはとても助かると思うし、町を走っているバスを見ていると和む。
デザインが気に入って、今はエコバックにしているずた袋にも、そういえば「だんだん」とプリントされている。
見るだけで気持ちが和らいでとても好きだ。
健康になったら、月に一回くらい、「だんだんバス」を利用したい。
「ありがとう」が言いにくいときも、「だんだん」ならば、口にしやすいような気がする。
「だんだん夢に近づいている」
「だんだん愛に変わっていく」
そんな平和な連想しか浮かばない私は、今日も幸せなのだろう。