4 高野山から熊野へ
この熊野古道の巡礼に出る前には、フランス国境あたりからピレネーを超えてスペインのサンチャゴへの道を2回歩いた。四国の遍路より少し長い1600キロほどの道のりだ。
その行程のほとんどが舗装されたり整備されたスペインのカミーノ・フランシスと違い、先述した「熊野古道登山マップ」上には飲食店や食品小売店やカフェなどはどうもみあたらないようだった。
この熊野古道は、山道が多そうなこと、万が一の野営を考えて、四国巡礼に使う杖と、泥や雨から足元を守るゲートル、シュラフの下に敷く薄いクッションシートを準備した。古道ではそれらの装備品はことのほか役にたった。
写真:ゲートル
飲料水をどうしていたか記憶にないが、たぶんスペイン巡礼のときのように500mlのペットボトル2本に入れて、バックパック両脇のポケットに入れて携行していたのだろうと思う。
また、カロリーメイトを携行食として数個持ち歩いたと記憶する。
古道の途中で、水の補給や食糧で困ったという記憶はない。
地図をみると一日数時間歩けば村落から村落へ移動できて、どこかで食事できるだろうと踏んでいたが、その通りになった。スペイン巡礼路を歩き慣れて培った勘が、熊野古道では大いに役にたった。
スペイン巡礼では、ナイキのスニーカーで歩き、3週間ほどずっと靴ずれで悩まされた。あのときは、たまたまサンチャゴ手前にある大都市レオンで、大きなデパートが見つかり、そこで買ったソロモンのトレッキングシューズを手に入れた。このシューズが優れもので、熊野古道でそれを履いていたので足元は万全だった。
ゴアテックスの防水と、オーソライトの中敷が採用された、このミッドカットのシューズが足を適度にグリップして、雨の日や足元の悪い山道を歩いても脱げにくくおすすめだ。
スペイン巡礼で耐久試験されたサロモンのトレッキングシューズは歩きのニーズを高く満たしてくれるため、すでに17年近く愛用していることをつけ加えておきたい。もちろん歩くうちに靴底が擦り切れ、中敷に穴があき、何回も新しい靴に履き替えてのことではあるが。
写真:ソロモンのトレッキングシューズ
高野山から熊野本宮大社までは急な峠を三つ超える必要があった。普通なら四国巡礼に使う杖も非常に役にたった。それまで杖なんか使うことはなかったが、歳をとるにつれ山道では重宝することになるだろう。また行きの3日間は雨が降ることもなく一人旅だったこともあり、気ままで快適な巡礼だった。
春先の5月だったので、カバーなしの1kgほどのシュラフと下に敷くクッションシートがあれば外でも十分快適に過ごせる天候だった。それを使ったのは初日の山小屋と、那智の滝近くのホステルに管理人がいなくて泊まれず、那智の滝を超えた山の上にあった公園で野宿をする羽目になった、たったの2回であった。
熊野はむかし南朝の落人が京都から逃れてきたと言う地域だった。また、お公家さんが神輿に乗って京都から熊野詣をしたそうだ。往復20日かかったと言う。
熊野古道登山マップ
2日目の十津川村までは30数キロあって、流石に夕方ごろにはヘロヘロになった。それでも途中に飲食店があって救われた。あれなかったら飢え死んでたかも、はオーバーか?
十津川村に着いたときは夕暮れ間近で、汗だく、足元は泥だらけだった。でもこれが巡礼だな〜とちょっと感動した。
登山がデフォの人には何青いこと言ってるのと言われそうだが。何回も書くが、スペイン巡礼に出かけるまでは、一日に最高10キロ以上は歩いたことがない、そんなヘタレだったのだ。それからすれば恐るべき進歩だ。
3日目の熊野本宮大社まではたったの15キロだったので朝7時ごろ出れば昼過ぎには楽勝でたどりつけた。古道マップをたどっていると、途中、他人の家の軒先に出ることもあってちょっと怪訝な顔をされたものだった。
熊野本宮大社に巡礼宿があると聞いていたので飛び込みしたら、宮司さんに来る前に予約を入れてくれと冷たく言われた。もう15年も前の話ではあるが、あの頃は、まさか高野山から人が歩いて来るなんて知るよしもないだろう。宮司さんにはそんなこと一言も聞かれなかったしね。
スペイン巡礼宿のオスピタレーロには、歩き巡礼者として暖かくもてなされることが多かったが、世界遺産に登録されて数年しかたっていなかった熊野古道は意外に人が冷たかった。歩いて巡礼するという観念が、四国の遍路道以外の日本の地域にはなかったせいかもしれない。
つづく