テレビドラマは現代の密教経典

今日、フジテレビのテレビドラマ「トップキャスター」(2006年放送)をみていてふとこう思った。

スポンサーのために視聴率をあげ、視聴者をだまくらかして商品サービスを売りつけるテレビ局。そこに躊躇はない。

ところがだ。例えばテレビドラマでは、そこに描かれるキャスターは正義を信じ真実を追うヒーロー、ヒロインとなって現れている。

金と欲にまみれたまさにテレビ局に巣食う凡夫が、ドラマ内では心の葛藤を繰り返しながら、また苦難を乗り越えながら、最後には成仏したヒーロー、ヒロイン(民衆を救済する菩薩)のような姿をとって現れてくるのだ。

このパターンは、テレビ局ドラマだけでなく、刑事ドラマ、医療ドラマ、裁判官ドラマなどに通底している。

よくできている。こうやって視聴者は、実際には社会に存在する矛盾し、錯乱し、錯誤した存在としてのテレビキャスター、刑事警官、医者看護師、裁判官弁護士をしばし忘れる。洗脳されると言っても良い。

間違って視聴者がそんなテレビドラマをみて、矛盾し、錯乱し、錯誤したこのような職業人たちを、善人の集まりとでも錯覚すれば万々歳。そしてテレビ局は見事にスポンサーと共に富と名声を得て栄えることができる。

そして、もっと想像をたくましくすれば、視聴者の中にそんなテレビドラマのヒーロー、ヒロインに憧れて、彼らのようになりたいと思い、そんな職業を目指すならそれは奇跡である。

そう考えると、それはまさにインドで栄えた仏教セクトのひとつである密教グループの目指した「変化身」(悪人が善人に、そして諸菩薩となる)を生み出す、密教修行の世界ではないか。

中国から空海を通して8世紀の日本に伝わったのは真言密教だけであるが、そんな変化修行の命脈がこの現代の日本にも、テレビドラマという形をとってまだ残っていると考えると感慨深い。そう思った。

テレビドラマは現代版の密教修行のためのビデオ経典でもあるのだ。

テレビドラマ「トップキャスター」(2006年フジテレビ放送)

以上