私が経験した二三の超常現象 ② by 政木和三


『 驚異の超科学が実証された 』

~ 精神エネルギーの奇跡 ・ その真実 ~

政木和三

第1章 超常現象も発明も『無欲』から

● “不可能はない”ことの実例

【 私が経験した二三の超常現象 ② 】

 〔12〕 高僧の質問にとうとうと出た言葉……

 京都御室(みむろ)の仁和(にんな)寺で、日本全国から一府県ごとに一、二名の高僧を集めて二日間の講演をした。

 質疑応答の時間に、仏門に入り五〇年近くにもなる一人の僧が質問をされた。

 その質問が終わるや否や私の口から、とうとうと答えが出た。

 私は心のなかで

 “なんとすばらしい答えだ”

 と感心しているだけであった。

 答えが終わると、その僧は頭を畳にすりつけて

 『はい、よくわかりました』

 といわれた。

 私が精神世界へ入って一年目の頃だった。



 〔13〕 仏像、真珠の出現は日常茶飯事……

 岡山の社長宅の応接間で会談中、仏間に仏像が発生したと聞き、勝手知らぬ部屋に行くと、観音様が発生しており、その夜明けに神の啓示があった。

 仏像の幽現、真珠の発生は日常茶飯事のように数かぎりなく起き、私にとっては、あたり前の事実となった。



 〔14〕 住所のわからない家に行けた……

 昭和一八年(一九四三年)、東条英機首相に進言するため、大阪から八時間かけて東京へ赴いたときのこと。

 その日泊めてもらう親戚の住所を書いた紙をなくしてしまい、石原という名前だけしかわからない。

 以前、子供が遊びにきたときに

 『二階から明治神宮がみえる』

 といっていたのを手掛かりに山手線で代々木駅まで行き、駅前の交番で尋ねたが名前だけではわかるはずがなかった。

 神宮を横切り、石段を下ると

 『石原』

 という表札があったので尋ねてみると、その親戚のお宅だった。



 〔15〕 知人の死を予期……

 阪大時代にお世話になった南田さんの奥様に、

 『あなたは近いうちに死にます』

 と告げた。

 奥様は改名したり、いろいろとしたが交通事故によって三か月後に亡くなった。



 〔16〕 娘さんが亡くなったあと、すぐに妊娠……

 ある夫婦がきたときに、

 『あなたの娘さんは一四歳で死ぬことがいちばん幸福なので、一四歳で死ぬことを祝福してあげなさい』

 と告げたら奥様は泣きながら帰っていったが、二か月後に再び訪ねてきて、

 『一四歳のお誕生日に亡くなりました。

 しかし淋しくも悲しくもありません』

 といわれた。

 
フーチパターンで測ると奥様は妊娠していた。

 『お腹の赤ちゃんは、亡くなった娘さんの生命体です。

 今度の肉体は丈夫なので長生きしますよ』。

 やっぱり娘さんにとっては最高の幸運だったのである。



 〔17〕 ピアノ演奏で精神病が治った……

 ピアノ演奏を聞かせて、肩に手をのせた瞬間に、精神病は治ってしまった。

 また、増強装置の使用で精神分裂症による記憶喪失が治った例もある。



 〔18〕 三七〇ヤード、予告ワンオン……

 六一歳で三七〇ヤードをワンオンした記録は、サンケイ新聞から取材を受けた、伏尾ゴルフクラブ東五番の打ちおろしのコースである。

 三七〇ヤードの場所から

 『ワンオンしますよ』

 と断言し、眼をつむって打った。

 先のキャディが

 『のった』

 と手を振った。

 新聞発表は

 “一割引きの驚異の三四〇ヤードワンオン”

 である。



 〔19〕 ボールが進んでカップイン……

 昭和五一年(一九七六年)の西日本ゴルフ選手権大会(その回から関西シニア選手権となり、私はシングルになったために資格ができて出場した)。

 第一打を打つ直前、

 『右脇を固くしめたまま打てよ』

 と神の啓示があった。

 『汝のゴルフ場は、自分の足許一メーター四方だけである』

 と。

 そのとおり飛ばそうと、足の方向を決め、クラブヘッドを直角にボールに当てるとボールは目標の方向に飛んでいった。

 二日目の最終ホール、ボールからピンまでは二〇メーターはある。

 何も思わずに打つと、二〇メーターをカップインした。

 ボールを取りにいくと、三人のキャディさんが変な顔をしていた。

 聞いてみると、

 『球が一メーター半ぐらい手前で止まったので短かったねと話していたらボールがムクムクと動き出してカップインした』

 ということだった。

 その記事が翌週の週刊誌に載り、再びびっくりした。

 その、打たない一打で私は優勝した。



 〔20〕 ギャラリーの前でホールインワン……

 七二歳のとき、伏尾ゴルフクラブでスコアーは35であった。

 昼食にビールをコップ一杯のんだため、午後の第一打はOBとなったが、ワンオーバーの37で合計72のエイジシューターとなった。

 七四歳のときには、岡山の赤坂カントリーで、午前中に3パットを三回して39点。

 午後からショートホールに行くと、

 『CMの政木さんが来た』

 と、人が集まり数十人の前でホールインワンした。

 あがってみると、72のエイジシューターであった。

 新聞にも大きく報道された。



 〔21〕 神功(じんぐう)皇后との縁……

 三笠宮様と一日、ゴルフと精神面のお話しで過ごし、私は勝手に、無類の親友と思った。

 東久邇(ひがしくに)様からネクタイと紋章入りのネクタイピンを贈られたことも、一六〇〇年前の神功皇后とのご縁である。



 〔22〕 テレビの値下げの原因……

 昭和二七年(一九五二年)一二月二八日から三日間かかり簡易テレビをつくった。

 翌年一月一八日の

 『朝日新聞』

 に

 “一万三〇〇〇円のテレビ”

 と発表され、日本のテレビが一〇分の一に値下げとなる原因をつくった。

 〔23〕 二階から落ちて舞い上がった……

 平成五年(一九九三年)一月二六日のことです。

 テレビのアンテナを調整するために屋上に上がって、下りる途中、二階の天井から仮設のハシゴに乗り移ろうと、両足が天井板に乗った瞬間、バリっと音がしました。

 天井に穴があき、板が破れて階下へ飛び散るのが見えました。

 次の瞬間、私の身体は、宙に浮かび上がり、二階に舞い上がっていきました。

 気がつくと、細いタル木の上に立っていました。

 そのとき階下にいた女性が、

 『大丈夫ですか』

 と声をかけてきたのを、天井の上から見下ろして、

 『あぁ、なんともないよ』

 と答えていました。

 下を見ると、穴の真下に金属パイプが立っており、落ちていればそのパイプが腹に刺さって死んでいたことでしょう。

 おそるおそる仮設ハシゴから下りて、階下に着いたのでした。

 その女性は、

 『バリっと音がして天井が破れたので、みると、穴から浮き上がっていく姿が見えたのでびっくりした』

 といっていました。

 その翌日の朝、家内が、

 『これはどうしたの。

 白いペンキの線がズボンのすそから腰までついていますよ』

 という。

 みると、ベルトのところから下に、白い線がすそまで一直線についていました。

 きのうのことを思い出しましたが、

 『何でもなかったのだ』

 と告げました。

 しかし、腰までペンキがついていたことは、板の破れ目から腰まで以上も落ちたことになります。

 数日して、ある人から、弘法大師にも同じことが起こったとの記録があると聞きました。

 それは、大師が崖から落ちたときのことで、やはり舞い上がっていかれた、ということでした。

 『あなたが生きる必要があるから神が助けてくださったのです』

 と教えられたのです。



 このような現象は私の周辺で数かぎりなく発生し、思い出すのも困難なほどです。

 『これは人間の力ではできない。

 このような現象を起こす原動力を

 “神の力”

 というのだろう』

 と思うようになっています。



驚異の超科学が実証された
KOSAIDO BOOKS
初版発行:平成5年4月15日
13版発行:平成6年11月30日
著者:政木和三
発行者:櫻井道弘
発行所:廣済堂出版
    〒107 東京都港区赤坂 6-17-5
    電話 03(3584)7610(営業)
       03(3584)6123(編集)
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印刷所:株式会社 廣 済 堂
編集担当:松田順三
ISBN 4-331-00604-2 C0240
© 1993 政木和三
Printed in Japan