3 旅には頼りになる地図を持っておくこと
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何となくまたスペイン巡礼に行きたいなと思った。ちょっとあの旅を振り返ってみようと思って17年ぶりにネットでいろいろな資料やブログを見ながら「スペイン巡礼2005(カミーノ・フランシス編)」というつぎの短い巡礼記を書いた。
そして、実はその巡礼後もう一回スペインに戻りほぼ同じ道、カミーノ・フランシスを辿った。2007年だったと思う。
そして、その翌年春に熊野古道を辿った。
巡礼をするまでは人生で一回に10キロ以上歩いたことのないぼくが、今では歩きフェチと化している。(笑)
それで、今度はこの note を使って、熊野古道を辿った記憶を掘り起こそうとしているところなのだ。
そしていきなりなのだが、この巡礼記の結論に入りたい。最近は物忘れが激しく、思いついたときに書いておかないと二度と浮かびあがってこない可能性が高いからだ。困ったもんだ。笑
結論:
・「巡礼」でも、「旅行」でも、「人生」でも、その「道をよく知る人」と知己を得、アドバイスをもらうこと
・その「道を歩いたことのある人」が描き残してくれた「地図」を頼りに道を歩くこと
・その「道を歩いたことのある人」と一緒に道を歩くこと
万事がこれに尽きると思う。
このスペイン巡礼路を2回、熊野古道を1回歩いたことで、このことを強く実感するようになっていた。
もう亡くなったが、ぼくの心の師と仰いでいた先生が「巡礼は苦労してしなさい」と言っていた意味も少しは理解できるようになったと思う。
最近は、お金さえ払えば、ベルトコンベアをサーと流れるように始まり終わってしまう巡礼、旅行、人生には得るものは少ないと感じている。(注:これは個人の感想です)
高野山を出発し、小辺路を経て熊野大社本宮まで歩き、熊野三山をめぐり、また熊野大社本宮まで戻り、そこから中辺路をたどり熊野の聖域を抜ける滝尻王子まで、巡礼者どころか、ほとんど人に会わなかった。熊野とはそういうところだ。
今は知らないが、15年前はまだ徒歩で古道を歩き切る巡礼者には出会えなかった。
もちろんお目当ての熊野本宮や那智の滝は有名な観光地なので、そこにたどり着くと、自動車を使って来訪した観光客はたくさんいたけど。
本当に人気のない山道を一人、登ったり降りたりしながら歩いた。スペイン巡礼のフランシス・カミーノのように前後合わせると自分のまわりにはたぶん200人から300人の巡礼者が一緒に歩いている、というような旅ではなかった。まさに自分と向き合う旅だったと思う。
そんな旅のお供に世界遺産となった熊野古道を仔細に解説してくれる地図が手に入ったのは収穫だった。この地図のおかげで10日ほど歩いた道中で迷ったのは那智の滝から熊野本宮大社に抜ける山中の一回だけだったと記憶する。
その地図の一部を再掲する。
中辺路(高野山〜熊野本宮大社)
地図を見ただけで、17年前当時、高野山から歩いているうちに大股村落にポツンとあった食堂で昼をとり、おにぎりを握ってもらったこと。食堂の主人が心配げにぼくを見て夏柑をひとつくれたこと。その日は伯母子峠の頂上にあった小屋に泊まったこと。次の日は夕方十津川村にたどり着き、その日の宿を探して村の温泉に浸かったこと。そして三日目にはヘロヘロになりながらも本宮大社にたどり着き、巡礼者を泊めてくれるというので大社の巡礼宿に泊まったこと。宮司か誰かに事前に予約を入れてくれと言われたこと(どれぐらいかかるか山道を初めて歩いたのでわからないし、携帯持ってなかったので無理なんだけど)。などなど旅の断片をくっきりと今でも懐かしく思い出す。
記憶が比較的クリアなのはスペイン巡礼のように巡礼者が溢れていて、全てが整っていて、巡礼者と巡礼を支えてくれる巡礼宿、巡礼路の途中にあるカフェやスーパーの人々とのトコロテン式な流れがなく、古道には誰もいなくて、おまけに山の中で店もない知らない山道を、自分でいちいち地図で確かめながら歩かなければいけなかったからだろう。
それに途中で転倒や骨折でもすれば誰も助けてくれないのだ。注意に注意を重ねる必要もあった。
地図は「世界遺産 熊野参詣 登山マップ」と命名されている。熊野参詣には登山をしないといけないという意味だ。笑
そして、以下のように部分拡大図では、ポイントからポイントへの道筋や目印が仔細に書き込まれていて、これを使えば迷う人はいないだろう。優れものだ。
この熊野古道はスペイン巡礼路でも、ぼくが2回目の巡礼で歩いたフランスからスペインの国境をまたぐピレネー山脈山中にあるハカの地域に似ている。でも、パンプローナ方面に抜けようとすると2、3日を要するそのハカですら数組の巡礼者に会ったし、個人がやっている巡礼宿があって安心したし、大いに助けられたものだった。
つづく