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『花にのせて』

あの日から9年。
今年はコロナで世の中が騒いでしまっているけど、
日本人の忘れられない日の一つ。

トイレットペーパーの買い占め、マスクの高額転売…。

震災の後は泥棒も出ず、混乱も起きず、助け合う姿に
海外メディアが日本人の精神性の高さを褒めていました。

コロナも大変な病気で降りかかったらもちろん困るんだろうけど、
まず大切なのは個人の免疫力を上げること。
そして、マスメディアに踊らされることなく、
本当に守るべきものは何なのか?を考えて過ごしたいと思います。

**健やかに豊かに暮らす世界を作りたいと綴るブログ
その713日目。『花にのせて』**

毎年この頃には、私の花友、なおキングの
FBの記事を転載させてもらっています。
いつもそんなにたくさん話さない彼の思いを
そのまま伝えたいので全文で掲載します。
(なお文章の後に写真があります、苦手な方はお控えください)

今日はお花の番外編です。
明後日で東日本大震災から丸4年になります。
そこで自分の経験が皆様のお店の対策や、防災のためにお役にたてるかなと思い投稿します。
宮城県の山沿いでしたが東日本大震災ではけっこう被害がありました。お店のガラスや花瓶、鉢花などかなりの損害でした。
携帯の緊急地震速報が鳴り響き、
急いで花瓶や壺の所へ行き倒れないよう押さえたのですが
段々と立ってるのもやっとの揺れに襲われ
2メートルクラスのお店のガラスが3枚割れ、
上の方の花瓶などが降ってきたため急いで外に出ました。
やはり陶器などの棚は落下防止の対策が必要だと思います。
そこから1週間は電気ガスなど全て止まり、
携帯電話も基地局の電源喪失で圏外になりました。
1週間サバイバル生活でした。
情報はラジオと車のテレビだけでした。
ガソリンも無いので車のテレビは少しだけでしたけど。
そんな中でも海沿いから
お花を買いにいらしたお客さんもいらっしゃいました。
ご遺体が見つかったので花だけでもあげたくてと・・・
「自衛隊の方が小菊1本あげてくれたけど、寂しくてねー」と。
いたたまれない気持ちでしたが、
ガソリンも手に入らない中、お花を求め山沿いまで来てくださる。
花は贅沢品と言われますが、
花は心の支えになったり、気持ちを代弁したり、
生活の一部であり心を届ける物だと実感しました。
正直自分もライフラインの無い中、
生きるのと身内の心配と色んな思いの中でいました。
花市場も被災し1ヶ月くらい再開してない中、
何人もお店をおとづれて花を売ってくださいと
お客さんがいらっしゃいました。
「今日が命日だから花あって良かった」
「震災関係なく亡くなったんだけど花ある?」
「ご遺体見つかったから良かった!花作って!」と。
電話も繋がらない中、あるかないかわからない花を求めて
貴重なガソリン使って来てくださる事に
驚きと、やるせなさと、無力さを感じ店にいたことを思い出します。
震災から2週間後くらいにご近所さんが
「親戚の被災お見舞いに行くから付き合ってくれ」
と言われ行った海沿いの写真も載せます。
車で40分位ですが、
ガソリン系の匂いと海の匂いといろいろ混ざった匂いに
目を疑う光景に唖然としました。
家の二階に車が乗っかってたり、あるはずの住宅地が無かったり。
番外編でした。
皆様倒れやすい花瓶は転倒防止の防災グッツで固定おすすめします。
倒れやすいのはガラスのそばは避けたほうがいいですね。
改めてお花は凄い力持ってると思ってます。
長々と失礼しました。

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遠くからでも、ガソリンがなくても、あるか無いかもわからなくても、
ただ一輪の花を手向けたいと。
思いを伝えたいと。
そうは言っても仕入れもままならず、
もっと答えたいのにできない歯がゆさがあったことと思います。

人には想いがあり、それを表現したい、受け取って欲しくなる。
その時の表現方法の一つが、古来からお花でした。

今年はコロナのせいで各種イベントが中止になり、
歓送迎会もなし、
卒業式・入学式までもう無いと決まったところもあります。
生産者さん、お花屋さんの打撃は大きいです。

人の喜び悲しみに寄り添ってくれるお花。
そして、忘れてはいけない日本人の精神性や、相手を思う気持ち。
きちんと振り返っていきたいと思います。

今日も読んでいただきありがとうございました。



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