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「言葉」の語源

軽い気持ちでnoteを始めて1ヶ月。23個の記事を公開した。

700回近くの人の目に触れ、167回ものスキをいただいた。フォローしてくださる方もいて、本当にありがたい。

スキした回数は数えきれないくらい。
もともと文章を読むのが好きでよく本を読んでいたのだけど、noteには書いた方のリアルな温度感が伝わってくる良さがある。

少しでも心が動くとスキを押して、他の記事を拝見してスキを押して。その方から繋がる方々の記事を読んでスキをして。

微笑ましいものもあれば、バカバカしいもの、重くてしんどいものや、鼻の奥がツンとなるものに触れ、この1ヶ月は心を豊かにする文章をたくさん浴びたと思う。

皆さん言葉を紡ぐのが上手だなと感心する。言葉を紡ぐって素敵だな。

そもそも、言葉はなぜ葉という字を使うんだろう?と思い検索してみた。
語源由来辞典によると

言葉の語源は、「言(こと)」+「端(は)」の複合語である。
古く、言語を表す語は「言(こと)」が一般的で、「ことば」という語は少なかった。「言(こと)」には「事」と同じ意味があり、「言(こと)」は事実にもなり得る重い意味を持つようになった。
そこから、「言(こと)」に事実を伴なわない口先だけの軽い意味を持たせようとし、「端(は)」を加えて「ことば」になったと考えられる。
奈良時代の『万葉集』では「言葉」「言羽」「辞」の三種類の文字が使われ、「言羽」も軽い物言いを表現しているといえる。
平安時代の『古今和歌集』や『土佐日記』では平仮名の「ことば」、『枕草子』では「詞」が使われ、室町時代の『徒然草』では「言葉」が使われている。
複数ある「ことば」の中で「言葉」が残った理由として、『古今和歌集』仮名序の「やまとうたは ひとのこころをたねとして よろづのことの葉とぞなりける」でうまく表現されているとおり、「葉」はたくさんの意味で豊かさを表すためと考えられる。「言の葉」が多く用いられていくのに並行し、「ことば」にも「言の葉」の意味が含まれるようになり、「言葉」は言語を意味する最も一般的な語として定着した。

自分なりに、言の葉を紡ぐことは無限に拡がる表現の世界なのだと理解する。

同じ事象を表現しても人によって言葉の紡ぎ方が違うのだから、自分の紡ぎ方で良いんだと文才の無さをなぐさめる。

いつまで続けられるかわからないけど、少しでも心に残った紡がれた言葉を残してみようと思う。


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