その美少女に哲学はあるか
15年くらい前でしょうか?芸大やデザイン専門学校の卒業制作展で、いわゆる萌えキャラのイラストをテーマにする学生が異常に増えた時期がありました。
理由はよく分かりませんが、少子化に備えた学園が、子どもたちを集めるために、アニメーターになりたい人!と呼びかけたのは理由の一つかもしれません。
ぼくはそれを眺め、得も言われぬ違和感のようなものを感じていました。ただ、アニメーションやゲームは世界に誇る日本の文化なので、それを志す子供たちを育てることは良いことであるし、なにより子供たちが好きなコトとして取り組めるのならば、受け入れて応援しなくてはならないのかなと自分を納得させていた覚えがあります。
そして、今年も各地で行われている卒業制作展を見て歩き、今も多くの割合を占める萌えキャライラストの展示にその違和感がどこから来るものなのかを確信しました。もちろん全ての作品がとは言いませんが、そのほとんどが
『哲学を求めていない』ことなのです。
昨年頃より、誰でも使えるようになった生成AI君。
彼が得意なイラストの代表は萌えキャラではないでしょうか?その理由はインターネットの世界にこれほど材料が溢れているテーマはないからです。
どちらかと言えば肯定的ですが、結果今では小学生でもベテランアニメーターより速くそして同じレベルで萌えキャラを描ける世界になりました(それを描くと言うかは分かりませんが)
今日、こんな話を聞きました。
ヒトvsAI でラップバトル、どっちが強い?
結果は人だそうです。
既に、上手に韻を踏んで社会や対戦相手を揶揄するような歌詞を作ること自体は、AIはヒト以上の仕事をするようになってきたそうですが、欠落しているのは歌詞の背景にある体験、すなわちストーリーです。
例えば、AIが家族について歌っても、対戦相手であるヒトが「だけど、お前には家族がいねーだろ」と歌い返せば、オーディエンスはそこに盛り上がるという訳なのです。
決定的に芸術の分野に言えることですが、
芸術作品の裏と表には、作者の体験に基づく思想が焼き付いているもので、それは
『どう生きてきたのか?』
『どう生きているのか?』
『どう生きて行くのか?』
描き伝えるということは、その描き手からその美少女がどう見えているのかということを通して感じる描き手の人生観を洞察することにあり、哲学とはそういうものだとぼくは思うのです。